2008/02/17

六孫王神社

     京都駅の新幹線高架のすぐそばに六孫王神社があります。由緒は古く、
     交通の便もよいところにありますが、訪れる方は多くはありません。

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     こちらが正面になるのかも知れません。

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     六孫王神社は、京都市南区にあり源経基を祭神とする。経基は清和天
     皇の第六皇子貞純親王の子であり、天皇の孫であることから「六孫王」
     と呼ばれた。

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     嫡子で、当社を創建した源満仲が清和源氏の武士団を形成したことから、
     「清和源氏発祥の宮」を称している。社地は、源経基の邸宅「八条亭」の
     跡地である。 多田神社(兵庫県川西市)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)と
     共に「源氏三神社」の一つとされる。(説明はWikipediaから)

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     応和元年(961年)、経基は臨終に際し、「死後は龍神となって邸内の池に
     住み、子孫の繁栄を祈るから、この地に葬るように」と遺言した。応和3年
     (963年)、嫡子の満仲は現社地に経基の墓所を建立し、その前に社殿を
     造営した。これが当社の創建である。

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     現在も、本殿後方に経基の石積の廟がある。

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     鎌倉時代、源実朝の妻の本覚尼がこの地に遍照心院(大通寺)を建立し、
     当社はその鎮守社とされた。その後、戦乱などにより社殿を失い、経基の
     墓所だけが残された。

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     元禄13年(1700年)より、江戸幕府により社殿の再興が進められた。こ
     れは、徳川家が清和源氏の末裔を自称していたためである。(神龍池)

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     元禄14年(1701年)には正一位の神階と権現号を授けられた。宝永年間
     に社殿が再建された。そのため、10月の例祭は「宝永祭」という。

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     江戸幕府の滅亡とともに衰微し、また、神仏分離により大通寺と別れた。
     明治44年(1911年)、国鉄の鉄道用地となったため大通寺は移転した。

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     この神社は、緑から黄色、ピンクと色を変えていく御衣黄桜でも有名
     ですが、その頃に訪れる機会があるかどうか分かりません。

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     この地区の防災、消火活動の住民組織として、梅逕学区自主防災会
     があり、境内の北側(右の建物)に防災機器の格納庫があります。

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     今日もご覧いただき、ありがとうございました。お帰りの際には↓をよろしく!

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2007/01/23

京都駅前 老舗デパート閉店

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昨日はココログのメンテナンスがお昼前だけだと思ってましたのにトラブルがあったのか今日の早朝まで使用出来ませんでした。
毎日規則正しい??更新でしたので「ぶっ倒れたのではないか?」と心配してくださった方もあるかなあ??無いかなあ?
上の写真は「近鉄ホームから」(奈良への私鉄)の京都駅ビルです。

今日はぐっと気分を変えて京都駅前からです。
今、京都駅前の「PLATZ(プラッツ)近鉄」で閉店売りつくしセールが行われています。
「87年のご愛顧ありがとうございました」といっても、「丸物」から「近鉄」になり今は「PLATZ近鉄」。トータルで87年なのですね。
何度も名前が変わるから最初の「丸物」で私は通していました。

行って来ました。「閉店売りつくし」
「閉店まであと何日」のカウントダウンまであって、「閉店の日まで従業員一同明るい笑顔で応対いたします」なんて淋しいアナウンスが流れて閉店ムード一杯だけど、私は改装してまた名前が変わるだけだと思っています。

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昔、デパートの階段に使われている大理石には「化石が入ってる」ということで「丸物」「大丸」「高島屋」などの階段で化石を探したものです。(私、高校時代は地学クラブでした)ここ「丸物」は「近鉄」に変わった時に内部改装がかなり行われたようですが。

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「もう一つの藤田嗣治展」を紹介した時に「プラッツ近鉄にあった藤田嗣治の絵はどうなっていますか?」とコメントいただきました。(丸物に電話をかけて行く先を確かめてコメント欄に返事しました)
閉店が決まって大作の幾つかは売られたようでしたが、まだ残っていた絵の展示がされていました。

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「海山の幸」 藤田嗣治 東郷青児 合作。

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「屋上塔」 東郷青児 (後の商品と私まで写ってしまいました)

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「朝」 岩澤重夫

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「仏画」 杉本哲郎

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屋上遊園地にも行って来ました。子供達で溢れていない遊園地は淋しい。

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京都タワー
1964年(昭和39年)12月に誕生した「京都タワー」。公式サイトには「灯台」イメージしたって書いてあります。京都のランドマーク、京都を出入りする時に見送られ、迎えてくれる京都タワー、正に「灯台」。でも京都の私達は「形はろうそくだ」って思ったの。
でもほとんどのブログは「灯台」で終わっていて・・・。出来た当時の物議を知らない若い方なのね。(”五条大橋”と”牛若丸と弁慶”のモニュメントも大いに物議)
先日、京都テレビの「京都ちゃちゃちゃ」で「和ろうそく」のことを取り上げていた時「京都タワーはろうそくだと言われていますね」って年配の司会者がちゃんと仰ってました。そう、「和ろうそく」を見てくださいね。神社仏閣に行けば「和ろうそく」を見れますよ。
(しつこいようですが「あれは灯台です」で片付けられるのが悔しくて、京都の人間の京都タワーに寄せる変遷も私は大切にしたいのです)

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駅ビルです。

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買い物にゆっくりし過ぎていたら日が暮れて。

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最終バーゲンにもう一度行かなきゃ。閉店は2月末日です。

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2006/11/12

壬生から島原へ

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バス停「壬生寺道」 から島原に向かって歩いていきます。

「元祇園梛神社」
壬生の「元祇園梛神社」 スサノオノミコトほかを祭り疫病除けの神で知られる。
貞観年間、京の悪疫退治のため祭神を東山八坂に祭る前いったんこの地の梛の森に神霊を仮祭祀したのが起こり。このため元祇園とも。
祇園祭傘鉾の起こりも同社の祭祀に由来するという。5月第3日曜は例祭で祭事のあと神霊を鳳輦(ほうれん)に移し、北・三条通、南・松原通、東・壬生通、西・土居の内通に囲まれた氏子社中を巡行する。
特に少年勤王隊、獅子、鉾、花傘などの祭列は見もの。建立:870(貞観11)年 
(京都観光情報システムより)

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凄い立派な狛犬です。

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境内には梛神社のほかに『隼神社』も併祀されています。

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境内をあとに坊城通りを下がります。

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 文久3(1863)年,江戸幕府は浪人懐柔統制のため浪士組を組織した。浪士組は上洛して壬生村で郷士前川・八木邸等に分宿した。指導者の清河八郎(1830~63)は尊王攘夷運動に浪士組を使おうとし,その策謀を知った幕府は東帰させた。残留した芹沢鴨(?~1863)・近藤勇(1834~68)らが新選組を結成し,前川・八木邸を屯所として尊王攘夷派や倒幕派の弾圧を行った。(フィールドミュージアム京都より)

前川邸

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新撰組グッズの販売もしていました。

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屯所の石標と八木邸。 (トップの写真も)

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壬生の名水「鶴寿井」 新撰組の人も毎日飲用したそうです。

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続いて「壬生寺」の順ですが、前日の記事をどうぞ。

光徳公園

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「京都市中央卸売市場」 公式サイトです。

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島原住吉神社

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島原東鴻臚館址

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この後、角屋に入ります。角屋 Ⅰ 角屋 Ⅱ

最後に島原大門に着きました。 この後龍谷大学大宮学舎を経て京都駅へ。

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紅葉の名所 「安楽寺」 (2004/12/6)

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2006/11/11

壬生寺と新撰組

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壬生寺 (みぶでら) 公式サイトです。 
律宗の大本山で宝幢三昧寺(ほうどうさんまいじ)、又は心浄光院(しんじょうこういん)と号し、本尊として地蔵菩薩立像(重要文化財)を安置している。
寺伝によれば、創建は奈良時代と伝え、正暦2年(991)三井寺(みいでら)の快賢僧都(かいけんそうず)により復興され、小三井寺と呼ばれていた。
その後、火災により堂宇を焼失したが、正元元年(1259)平政平(たいらのまさひら)により再興され、さらに正安2年(1300)円覚(えんかく)上人が、仏の教えを身振り動作に仕組んだ壬生大仏狂言を創始し大いに栄えた。
現在の本堂は、昭和37年に焼失したため、昭和42年に再建されたものである。中京区壬生梛ノ宮町   (駒札より)
場所はここです。島原の角屋に行く前に立ち寄りました。

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壬生寺境内東方にある池の中の島は、壬生塚と呼ばれ、幕末の新選組隊士の墓などがあります。

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壬生塚に入ります。

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新選組局長・近藤 勇の胸像と遺髪塔、 新選組屯所で暗殺された隊士・芹沢鴨と平山五郎の墓、勘定方・河合耆三郎の墓の他、隊士7名の合祀墓がある。その合祀墓には池田屋騒動で亡くなった隊士・ 奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門らも葬られている。(公式サイトより)

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新撰組のことで、京都出身じゃ無い友人と話が噛み合わない・・・それは、京都の人間にとっては「新撰組は悪者」って思っているのですが。近代史をシッカリ教わっていないから、昔から京都人として何となく思っているだけなのですよ。

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三橋美智也 唄の「あヽ新撰組」が100円で聴けます。

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外に出て、水かけ不動尊

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千体仏塔

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本堂

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紅葉の名所写真  真如堂 (2004/12/13)

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2006/11/04

龍谷大学 大宮学舎

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島原 「角屋」の見学が終わって京都駅へ向かいました。
「龍谷大学 大宮学舎」 塀に「2009年に創立370年」とあるのを見て・・・何と何と!、これは撮りに行かなくてはなりません。場所はここです。

西本願寺の唐門の写真を撮りに行った時、寄ってみようかと思った所です。
外から写真を撮っていたら、守衛さんが親切にも中に入れてくれました。
 西本願寺の唐門ブログです→ 唐門① 唐門②

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そこで、「大学の町・京都」として、四年制の大学の創立年の明治以前のものを。
                                                            
 種智院大学        天長 5年  ( 828)
 龍谷大学              寛永16年  (1639)
 大谷大学         寛文 5年 (1665)
 仏教大学         明治元年 (1868)
 立命館大学        明治 2年  (1869)
 京都府立医科大学   明治 5年  (1872)
 花園大学         明治 5年  (1872)
 同志社大学        明治 8年  (1875)
 同志社女子大学     明治 8年  (1875)
 京都教育大学      明治 9年  (1876)
 京都市立芸術大学   明治13年  (1880)
 京都府立大学      明治28年  (1895)
 京都大学         明治30年  (1897)
 京都工芸繊維大学   明治32年  (1899)
 京都女子大学       明治32年  (1899)
 京都橘大学        明治35年  (1902)

本館 (重要文化財)

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北黌 (重要文化財)

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黌 (重要文化財)

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西黌 (重要文化財)

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現在の龍谷大学大宮キャンパスの本館および南黌(なんこう)・北黌(ほくこう)・旧守衛所・正門などは,明治12(1879)年,龍谷大学の前身である西本願寺大教校(だいきょうこう)の施設として建てられました。

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本館は木造石貼2階建で旧大教校の講堂にあたり,また南北黌は宿舎として使用されました。これらは明治初期,日本の大工が西洋建築を見よう見まねで建てた擬洋風(ぎようふう)建築として知られています(国指定重要文化財)。

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黌から見た北

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右、南黌。 左、清和館

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黌の東口

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オリジナルグッズ展示館 (旧守衛所、重要文化財)

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学舎はシンメトリーに配置され、白とレンガとうぐいす色、何ともレトロな雰囲気。

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紅葉の名所写真 「鳥居本 つたや」 (2005/12/8)

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2006/11/02

島原 角屋 Ⅱ

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昨日に引き続いて島原 角屋です。
角屋は揚屋としては明治5年(1872)まで営業し、それ以降はお茶屋業に編入されました。(揚屋と置屋に付いての説明は昨日のブログ)
お茶屋業としては、昭和60年(1985)まで「松の間」で宴会業務を行っていました。

また、揚屋は「一見さん」(紹介のない方)を迎えることがなく、支払いは「つけ(掛売り)」のみで、現金決済を行いませんでした。
展示物の中に支払いの悪い新撰組の出入りを拒否した書き物がありました。

網代の間から「大座敷・松の間」に向かいます。廊下です。

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大座敷・松の間です。(TOPの写真も)
ケース内の展示物は撮影禁止で、その他はOKなのですが、夫は襖絵も展示物だと思って写真を撮っていませんでした。
だから、私のカメラで撮った少し見苦しい写真ですが。

襖絵 「金地桐に鳳凰図」 岸連山筆

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昔の照明には、蝋燭を灯す燭台や灯油の行灯が用いられました。
室内を明るくするためには、たくさんの蝋燭を灯すことが必要でした。
その結果、油煙で天井、襖などの室内が真っ黒に煤けています。

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襖紙も美しい。

庭に「臥龍の松」(がりょうのまつ)があることから「松の間」といわれています。

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清隠斎茶席

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台所です

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帳場と火鉢

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「輪違屋」 (わちがいや) 現在お茶屋として営業中。
輪違屋は太夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋です。現在の建物は安政4年(1957)に再建、その後増改築され明治4年現在の姿になった。非公開。

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Imi_0378a 島原大門 慶応3年(1867)建築

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京都駅から徒歩圏内にあります。

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紅葉の名所写真 大徳寺「高桐院」 (2004/11/24)

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2006/11/01

島原 角屋 Ⅰ

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京都では上七軒、先斗町、祇園甲部、宮川町、祇園東の5つの花街(かがい)が知られるが、他に、かつて花街として栄えた島原があります。江戸期に栄えた角屋は太夫を抱える唯一の置屋です。場所はここです。

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私、実は「島原 角屋(すみや)」に誤解をしていました。
そこで「角屋もてなしの文化美術館」でいただいたパンフから、島原、角屋、花魁、揚屋、置屋などを説明します。

島原の花街(歌舞音曲の遊宴の町)は1598年豊臣秀吉の公許を得て柳馬場二条に開かれたがその後、何度も移転を命ぜられ移転命令が急で住人の狼狽がひどく、その様子が当時の九州の島原の乱に似ていたことから「島原」と呼ばれるようになった。

中戸口

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揚屋(あげや)と置屋(おきや)
島原には昔から揚屋と置屋があり、揚屋とは太夫や芸妓をおいてない家で、置屋から太夫や芸妓を呼んで遊宴を行ったところで、今でいう料亭、料理屋に当たります。

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天明年間(1781~1789)前後、角屋では、当時の一流画人に襖絵の制作を依頼し、石田幽汀、円山応挙、江村春甫、与謝蕪村、岸駒などの画蹟が残されています。

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幕末の頃には諸大名をはじめ、西郷隆盛、桂小五郎、久坂玄瑞、坂本竜馬、山縣有朋、伊藤博文、などが角屋を利用し、西郷隆盛などの勤皇の志士たちが軍用金調達のため鴻池、加賀屋などを招き饗宴をしたと伝えられている。
新撰組の近藤勇や芹沢鴨なども出入りし、その刀痕が柱に残っている。

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太夫(たゆう)とは
遊宴のもてなしを公認された女性の中の最高位とされ、美しいだけではなく、茶、花、詩歌、俳諧、舞踊、文学などあらゆる教養を身につけており、歴史上では「吉野太夫」「八千代太夫」が有名です。

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網代の間です。

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灯りは行燈だけです。

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天井が網代

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私の誤解とは、ボランティアガイドの方も仰ってましたが「江戸の吉原と混同されて遊郭だと思っておられる方が今もおられる」、私もその一人でした。「吉原ではなくて新橋のような所だったようです。(私は名前しか新橋を知りませんが)
5つの花街(祇園界隈他)からかなり距離が離れている為に廃れていったと説明を受けました。そういうこともあって、別物と思っていました。

明日は「大座敷・松の間」の室内、襖絵、庭、そして台所をお伝えします。

今日11月1日から、御所の一般公開が始まりました。御所の過去のブログです。
百万遍の知恩寺では古書籍市も始まりました。今回、テレビでやってましたから、スゴイ人出でしょうね。(両方5日まで)京都の古書組合古書の検索が出来ます。

「鷹峰 源光庵・悟りの窓」写真を増やしました。

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紅葉の名所写真 真如堂 (2004/11/12)

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2006/08/19

京都駅 黄昏

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Dsc30299b_1 新幹線に乗ったの何年ぶりだろうか、17日、日帰りで帰ったのがこの時間です。
列車を撮るのも好きな私は、「ひかり」の最終車両の顔を撮ろうと・・・長~い長~い列車をが通るのを待ちました。
「カシャッ」タイミングよく列車と写ったのはコントラバスを抱えたお嬢様。
で、慌てて撮った「さようなら~」。

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空の雲を見るのが好きな私は

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「飛べ・アトム」

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京都タワー ここからだとほぼ全体が見えます

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2006/08/09

京都駅ビル 旅に出たいなあ

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先日京都駅ビルを歩いてみて「鉄骨の芸術作品としては見事だ、スゴイ技術だ!」と感心し、少し好感度アップしましたが、京都のシンボルにはしたくないなあ。
外観が金属の冷たさと統一性の無いパッチワークのようで、京都のイメージと違うから私が馴染む事は一生ないと思うのですが。
でもこのビルに想い出が出来た人にとっては「京都イコール京都駅ビル」になるでしょうね。JR京都駅のHPです。

あの「京都タワー」も建った時は「”ろうそく”とはどうも仏教染みてる、古臭い、センスが無い」とか散々だったのです。
そのうち私なんかは旅行に行く時、帰った時に見上げる京都タワーに「京都を出る感傷、帰ってきた安堵」を感じるようにはなってきましたが。(見慣れた愛着ですね)

新し物好きの京都人としては探検、撮影は欠かせません。
正面・・・ちょっと安っぽい・・・大きい声では言えません。

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中央口に面している0番線(旧1番線)。全長558mの日本一長いホームです。
「雷鳥」が停まっているのかなあ。あ~旅に出たくなった~。

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中央改札口が右に見えます。

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SKY WAYです。10階から歩けます。

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あ~人が写っていました。

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鉄骨の芸術ですね。

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この階段を駆け上がる大会が開かれます。

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屋上は憩いの場です・・今は最悪に暑いです。

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見下ろして見ました。

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クリスマスはこんな具合です。

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SKY WAYから見る「大文字送り火」は良さそうですね、全部見えそうです。
しっかり案内書きがついていましたから当日は人で溢れるでしょうね。

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2006/05/03

■飛べ・アトム・・・京都駅

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ブログ開設して3ヶ月。「ちょっと急ぎ過ぎたかな?」
そんな感じで今ブログを振り返っています。

「これだけたくさん写真を入れたのだから・・・もう充分じゃない!」
もうこれ以上写真を入れたら、「サイトが"副"になってサイトを潰してしまう!」

なんやかんやと悩んでいるのです。

・・・で、「ガンバレ 飛べ アトム!!」 ●京都駅・手塚治虫ワールド。

●JR京都駅ビル公式サイト ←JR京都駅でお役に立ちます。

私、「京都駅ビル」が大嫌い派なのです。
「なんで!!! なんであのデザインなの。なんで!!!」
「まるで巨大宇宙要塞!!! プンプン」・・・なのです。

まあ それは置いておいて。 壁面に写った京都タワーです。

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北アルプス大好きで3000メートル稜線漫歩を夢にまで見る私ですが、
駅の「伊勢丹」の2階から下りのエスカレーター。見下ろすと「ゾクッ」とくるのです。
私、高所恐怖症だったのでしょうか?・・・「肝だめし」で覗いています。

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