船岡山 平安京・北の基点
船岡山 場所はここです。
標高112メートル、東西200メートル、南北100メートルの孤立丘陵、平安京朱雀大路の北の延長線上に位置する。
頂上から眺望よく京の町、特に西陣一帯が見渡せる景勝地。
中世には要衝として戦場となり、応仁の乱(1467-1477)で西陣の山名宗全が城塞を築いて東軍の細川勝元を迎え撃った。その後も山をめぐって争奪戦が展開された。豊臣秀吉は、この山を大徳寺に寄進した。1931年(昭和6)、都市計画により山一帯を船岡山公園とした。
平安京への遷都にあたっては四神の玄武(北方の守護神)になぞらえられ,造都の基準点となったとも言われる。(駒札より)
船岡妙見神社の下から船岡公園に向かいます。
2枚に分けています、拡大して読んでくださいね。
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色々ネット検索していたら「磐座(いわくら)」なるものが出てきました。
要約して書くには奥が深そうなのでこのサイト様を御覧下さい。
船岡山が巨岩だらけな訳が。
磐座も子供達にとってはロックガーデン。
昨日の「建勲神社」で船岡妙見社の駒札に
「船岡妙見社は船岡山の地の神で、玄武(げんぶ)大神を祀る」とあります。
四神(しじん)・・・キトラ古墳や高松塚古墳の壁画に描かれている四神です。
中国・朝鮮・日本において、天の四方を司ると信じられてきた神獣のことで。
平安京に当てはめると。
東・春:青龍(せいりゅう) ・・・川が流れている・・・賀茂川
西・秋:白虎(びゃっこ) ・・・・・大きな道がある・・・・山陽山陰道
南・夏:朱雀(すざく)・・・・・・・沼や湖があり、広大な土地・・・小椋池
北・冬:玄武(げんぶ)・・・・・山がある・・・船岡山
周りをグルッと見てみます。五山送り火の「舟形」
金閣寺方向、左大文字です。
西陣の町並み
応仁永正戦跡・舟岡山
京都の西北隅に優美な姿をよこたえる舟岡山は、平安時代には、数々の祭祀が行なわれ、遊宴の岡でもあった。
しかし、中世後期には、戦略の要地として、この岡をめぐる攻防戦が戦われた。
その第一は、応仁の乱にさいしてである。西軍の大内政弘、山名教之らがここに布陣して小ぜりあいが続き、応仁2(1468)年9月には西軍が三方から攻撃して攻め落とした。しかし本格的な陣地は築かれなかった。
第二は、戦国時代、足利将軍家と細川家の内紛にさいしてである。
永正8(1511)年8月、いったん丹波に逃れていた将軍義尹(よしただ)が、細川高国らとこの岡に細川澄元、細川政賢を攻め、京都を奪回した。しかし、将軍の権威は、戦国乱世のさなか、まったく有名無実であった。(駒札より)
何かと歴史ありそうな物がいろいろありますが、私には分りません。
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山を下りて行きます。
お宮さん、お地蔵様が・・・歴史あるものなのでしょうね。
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船岡山の麓には公園が。