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2006年9月の記事

2006/09/30

嵯峨野 二尊院 萩の道

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毎日結構忙しい私です。なので今日もオサボリ気味のブログになってます。

二尊院
 小倉山と号し、天台宗山門派(延暦寺)に属する。承和8年(841)慈覚大師が創立した華台寺の旧跡と伝えられるが、長く荒れていたのを法然上人の高弟湛空(たんくう)が再興した。
本堂に發遣(ほつけん)釈迦と来迎弥陀の二尊像(重要文化財)をまつるところから二尊院の名が起った。
 境内は楓樹が多く、本堂の後の山は、百人一首の

  小倉山 峯のもみじ葉 心あらば 今一度の 御幸またなん   忠平

の歌で名高い小倉山で昔から紅葉の名所として知られている。
また、大堰川開墾者角倉了以や、儒者伊藤仁斎、その子東涯などの墓がある。定家卿が百人一首を撰んだ時雨亭は、この小倉山の山腹にあったともいわれる。右京区嵯峨二尊院門前長神町 (駒札より)

紅葉で名高い二尊院ですが今の時期「参道の萩」も見事に咲き誇っています。
写真は9月23日のものです。 場所はここです。

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帰りに寄ろ~っと。

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今日は「紅葉の馬場」といわれる参道の萩だけですが、本堂、庭園、など境内は徐々に入れていきます。

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紅葉の色付き具合は・・・まだまだです。

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総門を入ったところの茶店でちょっといっぷくです。

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Imh_6537a 「わらびもち」と

「茶だんご」をいただきました。

かわいい緑もみじと共に。

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2006/09/29

嵯峨野 落柿舎

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ただ今、燃え尽き症候群と申しましょうか、単なる倦怠感なのでしょうか、「写真に飽きたぁ~」状態です。京都歩きは飽きていないのですよ、どこか連れてって下さい。
「○○○のブログ」や「○○とねこの○○生活」を宿題をするのが嫌で怠けている小学生のように読みふけっていると、帰ってきた夫が「写真やってやろうかぁ」と嬉しそうに。
「それってブログ乗っ取りですか?」で、深夜にやっと手が動き始めたというか・・・。

そこで今日は「落柿舎」 (らくししゃ)です。(写真は9月23日)場所はここです。

「落柿舎」は、蕉門十哲の一人として名高い向井去来(慶安4年(1651)~宝永元年(1704))の閑居の跡として知られている。
当時、庭にあった四十本の柿の実が一夜のうちにほとんど落ちつくし、かねて買約中の商人を気の毒に思って価を返してやった。これが落柿舎の名の由来である。
芭蕉も晩年、三度当庵を訪れて、名作「嵯峨日記」を著した。
 庭には去来のよんだ
  「柿(かき)主(ぬし)や 梢(こずえ)はちかき あらし山」
の句碑がある。
去来は長崎の生まれ、芭蕉に師事して俳諧を学び、その芭蕉をして「洛陽に去来ありて、鎮西に俳諧奉行なり」といわしめた。かつて武人であった去来は極めて篤実真摯な人柄で、芭蕉に仕えるさまは、ちょうど親に対するようであった。 その句
  「鴨なくや 弓矢を捨てて 十余年」   はよく知られている。

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句碑   柿ぬしや 梢はちかき あらしやま   
他にもあちこちに句碑があります。

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花の名に疎いくて分りません。無理やり撮ってもらいました。
(私のデジカメ早く帰って来~い)

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これは「紫式部」ですよね。

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これは白いです、白式部ですか?そんなのあるのでしょうか?突然変異か?

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鹿脅し(ししおどし)の音を聞きながら、素朴な草花を愛でながら一句どうぞ。
「落柿舎投句箱」があります。庭内の投句箱に投句された全国の作句で機関誌に掲載された方は機関誌が届きます。

若いカップルが「しかおどし」って大声で言っていたので振り仮名つけておきました。
あんな自信満々に言われると自信無いなあ。「ししおどし」で良かったかしら。

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落柿舎の前に広がる田畑。今は「古代米」と「大納言小豆」が実っていました。

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こちらは「古代米」。全部で6-7種類ありました。

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サイクリングも良いですが、こちらはラクチンです。

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柿の葉も落ちた12月の初旬はこのようになります。まさに「落柿舎」
「らくがきしゃ」ではありません。「らくししゃ」です。(自信あり)

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2006/09/28

御室 仁和寺 Ⅳ 境内

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仁和寺の「御殿」の中にいた時には降っていた雨も止みましたが、どんよりした空で 色も無い風景になっていますので今日の写真は少なめにしておきます。
↑写真、以前の写真じゃないです、境内に入ってから振り返って見たものです。

「勅使門」 天皇が来られた時だけ開けられる門です。

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朱色の「中門」まで長い参道です。中門から「二王門」を見ました。遠いです。

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中門

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多聞天王 持国天王

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金堂

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経堂

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鐘楼

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御影堂

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水掛不動尊 

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地下から

くみ上げた水を

長い柄のひしゃくで

かけます。

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拝殿と九所明神

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少しのつもりが、沢山入りました。

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桜の頃の写真はここです。境内にある茶店です、お疲れ様でした。 

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2006/09/27

御室 仁和寺 Ⅲ 襖絵

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「ここは写真がオッケーかなあ?」と先ず靴を脱いだら確認します。
仁和寺は「写真については商業用に使わなかったら許可、三脚使用は不可」
安心してお届けしています。勿論、書いてなくてもフラッシュ使用の撮影、及び本尊、仏様の撮影は礼儀として致しません。

絵は好きなので好んで襖絵は撮りたいのですが、、、
何しろ今私のデジカメが修理中で夫が一人で好き放題撮ってます。たまに注文をつけて撮ってもらうのですが、、、
襖絵に関しては全然気持ちが入っていません。視線がヤッパリ高いのです。

白書院 
本来白木の柱を用いたところからこの呼び名があり、非公式の対面所として使用されていました。三室の襖絵はすべて松を画題としておりこれは昭和12年(1937年)に福永晴帆画伯によりかかれたものです。

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左側

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右側

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       Imh_5819a 黒書院

ここはやっと視線が下がりました。

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      Imh_5798a 宸殿

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左側

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右側

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次の間 正面

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左側

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右側

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次の部屋。 フラッシュは使用しませんから、あの暗さからはここまで明るく処理するので精一杯です。

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左側

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右側

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杉戸絵です

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●「室内の写真」は特に皆様にお見せ出来る様になるまで 未熟ながら1枚1枚スゴク苦労して直しています。(撮ったままだったら凄く歪んでいておまけに暗~い)
  (私の未熟な知識、技術ではこれが限度で、お見苦しい写真もあります)。
「風景写真」のように、トリミング、水平、湾曲、明るさを調節して「出来た~♪」とはいきません。(これだってスゴク頑張ってるでしょ、ケッコウ疲れるんですハイッ)
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お抹茶でも・・・
一回で襖絵を仕上げようと思ったら20数枚も写真を入れてしまいました。

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2006/09/26

嵯峨野 広沢の池

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2度の連休にうろうろ出歩きまわったのがたたって かなり疲れ気味です。
今日、明日は仁和寺にして、さっさと終わらせたかったのですが、写真は山ほど撮っているし、調べる事も多いかも・・・と、思うと躊躇してなかなか手が出ません。
なので、比較的写真が少なかった「広沢の池」に決定です。場所はここです。

初冬の風物詩として、池の水を抜いて養殖されている鯉 フナ、モロコ等を引き上げ料亭や一般に販売する「鯉上げ」が12月の初旬に行われます。

「児(ちご)神社」。遍照寺を建立した寛朝(かんじょう)僧正の侍児を祀る神社。
僧正が亡くなられた後、後を追い広沢池へ身を沈めたという。村人はこの稚児を哀れみ、その霊をこの地に祀った。

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昔、学生時代にボートに乗ったことあるんだけれど・・・。

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ランチはここで、外人のカップルです。

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もう1匹上がって

4匹になりました。

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あの観音島に行ってみます。

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千手観音像。テレビ、映画で見たことのあるような。

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壹美白弁財天社の祠

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あれは、茅葺屋根でしょうか。

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こういう景色って「時間が止まったよう」て言うのですよね。

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大文字送り火、「鳥居」はここから見れます。当日夕方の写真、灯りが一つ灯っています。

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2006/09/25

嵯峨野 彼岸花

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彼岸花は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも言って秋のお彼岸のころに咲きます。
23日は爽やかな秋空。彼岸花を見たくて「広沢の池」まで行きました。池の西側に広がる田畑、稲刈りもそろそろ終わりに近づいた畦道に彼岸花は咲いていました。
上の写真の稲の穂の向こうに見えるのは「かかし」です。

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嵯峨野にはまだ田畑が広がっています。

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並んだ車の向こうに見える池が「広沢の池」です。(後日紹介します)

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サイクリング、ウォーキングの人が行き交います。

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脱穀の済んだところには、白鷺、アオサギ、鳩、鳶、スズメ、、、鳥達が集まっていました。そして、その鳥達を狙うカメラマンも。

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2006/09/24

御室 仁和寺 Ⅱ 北庭

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今日は「宸殿」の前に広がる池泉回遊式の「北庭」です。
曇り空で色合いが沈んでいるのが残念です。9月17日連休中、台風がこちらに来るのか来ないのか? そんな日でした。
手抜きですみません、読んで下さいね。 
  
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「宸殿」に向かいます。

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滝が見えてきました。

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宸殿から見えるのがこの景色ですが、滝は松に隠れています。

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続いて右の方です。五重塔と飛濤亭です。

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雨が降り続いています。

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雨の時は室内が良いです。

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「霊明殿」からは「宸殿」と「北庭」が見下ろせますから行ってみます。

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「宸殿」を見下ろしました。TOPの写真も霊明殿からです。

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「霊明殿」

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こちらを撮っていた外人さん、お返しです。

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御殿を出て、あの五重塔にも行ってみますね。襖絵も後ほど紹介します。
尚、「飛濤亭」と「遼廓亭」は非公開の為お庭には行けませんでした。

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2006/09/23

御室 仁和寺 Ⅰ

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仁和寺 真言宗御室派 総本山。 場所はここです。

 平安時代前期に光孝天皇が創建に着手され、宇多天皇によって仁和4年(888)に完成、大内山仁和寺と名付けられた。
天皇は退位ののち出家して、仁和寺を住坊とし、30余年間修行に専心された。以後、明治維新まで約1000年間、皇子皇孫が門跡として法燈を伝えた。
応仁の乱の戦火で全伽藍を焼失し、双ヶ岡西麓に仮御所をもうけた時期もあった。

 現在の伽藍は、江戸時代初期に徳川家光の協力を得て再建されたもので、
御所紫宸殿を移して金堂(国宝)とし、御影堂・観音堂・鐘楼・五重塔・経蔵・二王門(いずれも重要文化財)などは当時の建物である。

中門の西奥には「御室(おむろ)の桜」と呼ばれる里桜があり、遅咲きの桜の名所として有名で、名勝に指定されている。右京区御室大内 (以上駒札より)

泉涌寺を「御寺」(みてら)と言ったように、ここ仁和寺は「御室」(おむろ)と云い、皇室には「御」を付けてお寺は「御寺」、住まいは「御室」といいました。

仁和寺の二王門(山門・上の写真)は知恩院の「三門」、南禅寺の「山門」と共に京都の三大門と呼ばれています。この二王門は江戸時代の寛永14年(1637年)から正保元年(1644年)にかけて建てられたものです。

金剛力士像 阿形

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金剛力士像 吽形

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阿吽の像の後に恐~い狛犬さんを見てしまいました。

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台風が来るのか来ないのか、降りそうで降らないのか、そんな日に出かけました。

御殿は、勅使門、白書院、黒書院、宸殿、霊明殿、白砂の南庭、池泉回遊式の北庭で構成されています。御殿に入ります。

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中に入ります。

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今日は白書院の前の白砂の「南庭」の紹介です。

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お天気が悪いので色が無いです。右に見えるのは「仁王門」です。

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宸殿から見た南庭と白書院です。

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宸殿に通ずる渡り廊下から白書院で寛ぐ人を見ました。雨が降ってきました。

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左近の桜、右近の橘、 勅使門です。

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※「池泉回遊式の北庭」は明日紹介します。

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2006/09/22

酔芙蓉の寺 大乗寺

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酔芙蓉をご存知ですか、
朝は白く 時間がたつと淡いピンクにそして夕刻には鮮やかな濃い色に・・・
まるで酔った人の顔が色づく様に変化してゆく大きな花です。
幾重にも重なった透き通るほどに繊細な花びら、上品な色合い。 
たった一日だけ咲く「一日花」。
酔芙蓉が1000株以上もあるというお寺を新聞で知って行ったのは一昨年です。
写真はその時のものです。
今年の花は遅く 今が五分咲き、満開は九月末頃らしいです。

朝、咲き始めはこのように白い色です。

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段々ピンクに色づいてきます。色の濃いのは昨日咲いてしぼんだものです。
あの色にまでなるようです。

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最初に行った日に酔芙蓉の鉢植えを二つ買って帰りました。
そして後日、見事さを母に見せたくて一緒に行きました。

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正午頃にこれくらいの色になります。

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3時、4時がこれくらいでしょうか。

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夕方から赤みを増して萎んでいきます。うちで咲いているのは夕方5時位でしおれ始め、色も↓くらいが一番濃い時の色合いです。(もっと濃くなるのかしら)

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「大乗寺」は、京都山科、地下鉄東西線御陵(みささぎ)駅から徒歩15分の所にある小さなお寺です。車で行くには少々不便ですが、それだからこそ俗化せず、永年寺とその周辺のたたずまいが保たれてきたともいえましょう。

近年新聞や雑誌に掲載され、「酔芙蓉の寺」として知られるようになりました。
もともと荒れ寺だった大乗寺の境内を、地道に整備、酔芙蓉の挿し木を始めたのがきっかけで、今では約1,300本に増えました。(以上大乗寺ホームページより)
場所はここです。詳しい地図はお寺のHPでどうぞ。

ここがお寺への正面の階段ですが、横の駐車場からはなだらかな階段です。

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お抹茶と酔芙蓉に見立てたお菓子をいただけます。蚊が多いから団扇で叩きながら見て回ります。

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左は酔芙蓉観音

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買って来た鉢植えは一つを実家に持って行って地植えにしました。
もう一つの方は我が家で大きな鉢に植え替えて育てております。花数が少ないので毎日一輪くらい咲くのを今楽しんでおります。

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2006/09/21

泉涌寺・別当 来迎院 含翠の庭 含翠軒

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御寺 泉涌寺 別当来迎院 
大同元年(806)弘法大師が荒神尊を奉安して開かれたと伝えられている。
後数百年を経て藤原信房の帰依により興す。
文明の兵火によって灰と化したが、天正五年(1577)織田信長により五十石を受け、慶長二年(1597)前田利家により再建。
徳川氏も別朱印として百国を寄せ、朝廷は御安産の勅願所とされて禁裡御菩提所の別当となった。
元禄十四年七月(1702)大石良雄(内蔵助)は、赤穂を退き山科に浪宅を構え檀家となり、茶席含翠軒を建立した。(以上、いただいた含翠の庭の栞より抜粋)

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「荒神堂」
三宝大荒神尊は弘法大師作と伝えられ、俗に「ゆな荒神」とも称し衣食住の三つの宝を授ける廣福天王守宅神であるが安産の守護神として信仰が高い。

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布袋さんがいっぱい乗られた舟。

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伏見人形の布袋さん。

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弘法大師 「獨鈷水」です。

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含翠の庭に向かいます。

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「含翠の庭」

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大石内蔵助がここで赤穂浪士と密会したのですね。

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大石内蔵助建立の「含翠軒」(がんすいけん)です。

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「赤穂忠臣談合所」といわれます。

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伽藍石の蹲踞(つくばい)

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足利時代 八面佛石幢

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この時期寺院を訪れてた時先ず見るのが、「もみじ、桜の木の数」です。
「次は桜の頃に来よう、紅葉の頃に来よう」と、楽しみになります。
今熊野観音寺から泉涌寺、雲龍院、来迎院など、東山の麓を歩いて・・・
今年の紅葉の頃はもう一度この辺りを歩いて見ようと思いました。

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来迎院向かいの「善能寺」です。(洛陽三十三所観音の第十八番札所)

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2006/09/20

泉涌寺別院 雲龍院

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泉涌寺別院 「雲龍院」 真言宗泉涌寺派の別格本山。
応安5年(1372)後光厳法皇が竹巌聖皐(ちくがんしょうこう)律師を招いて菩提所(ぼだいしょ)として建立されたのがこの寺の始まりで、
その後、歴代天皇の信仰があつく、たびたびこの寺に行幸されている。
特に後円融天皇(在位1371~82)は勅願として如法写経会をはじめられ、この法会は現在まで続いている。
寺は応仁の兵火によりいったん焼失したが、後柏原天皇より後土御門天皇使用の御殿の寄進をうけ、本堂として再建し、江戸時代には寺領も多く、来り学ぶ僧侶も多数にのぼり寺運はもっともさかんであった。
後光厳天皇をはじめ歴代天皇の尊牌をまつる霊明殿は明治初年に完成した。宝物には、この寺の歴史にゆかりのふかい土佐光信筆の後円融天皇宸影(重要文化財)をはじめ歴代天皇の宸筆など文書、絵画多数を蔵している。
 なお、裏山には、仁孝天皇二皇女、孝明天皇二皇女の陵墓が営まれている。東山区泉涌寺山内町(以上 駒札より)

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山門

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書院

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客殿を見る

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ここで写経が行われるのでしょう。毎月27日が写経の日です。
拝観200円、お抹茶付で700円、写経奉納料1000円です。

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霊明殿からから見ました。

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竜華殿

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「走る大黒天」の尊像です。
「幸せが貴方のお家に走ってこられますよ」って言っていただきました。

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2006/09/19

泉涌寺の御座所

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泉涌寺 御座所
霊明殿再建時に明治天皇より御所内の御里御殿が移築されたもの。
御殿西の御車寄せに続く一棟は六室に分れ、南東の玉座の間は一段と高くなっており、特徴ある違い棚が見られる。
上の写真は「玉座の間」です。襖絵は狩野永岳。  

御座所に入ります。

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お部屋の前には説明が書かれているのですが。

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勅使の間

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侍従の間

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庭園が見えてきました。

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林泉形式の庭園 
元禄時代作庭。御殿と御陵の御苑を兼ねて作られた。
灯籠・・・泉涌寺型雪見灯籠。仙洞御所より移されたものです。

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「泉涌寺」いかがでしたか?
仏殿の雪景色は知っていましたが、モノトーンの世界だけではなく色鮮やかな大和絵の襖や屏風に飾られた御殿の中でした。

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2006/09/18

御寺 泉涌寺

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東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に「泉涌寺」(せんにゅうじ)はあります。
「御寺」(みてら)と親しまれる「泉涌寺」は泉山と号する真言宗泉涌寺派の総本山。

天長年間(824~833)に、弘法大師によって建立された法輪寺(後に仙遊寺と改称)があったが、建保6年(1218)宋(中国)から帰朝した月輪大師俊じょうが再興、
この地に大伽藍を営み、寺地の一角より清水が涌き出たことにより寺号を「泉涌寺」に改めたと伝えられている。
歴代の天皇、皇室から厚い崇敬を受け、皇室の御香華院(ごこうげいん)(菩提所)として栄えました。
広い境内には、仏殿、開山堂、舎利殿、御座所、霊明殿などの伽藍が建ち並んでおり、寺宝としては、国宝の泉涌寺勧縁疏(かんえんそ)の文書のほか多数の貴重な文化財を蔵しています。
毎年、1月15日に催される七福神巡りには、数多くの参拝客で賑わうそうです。
場所はここ。市バス「泉涌寺道」から山に向かって歩きます。「東福寺」が近くです。

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こんもりとした樹木の長い参道を進みます。

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「今熊野観音寺」との分かれ道を横目に真っ直ぐ進みます。

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・・・何事ですか、今日は。

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TBSテレビ、松本清張ドラマ「波の塔」の撮影隊が来ていました。
俳優は分りません。姿が見えませんでした。ホースで水をまいているばかりでした。
そのおかげというか、協力、迷惑料で「御座所」の拝観が無料になっていました。

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「楊貴妃観音像」は、玄宗皇帝の妃、絶世の美女といわれる楊貴妃を偲んで作らせた等身坐像。時代が変わると前の皇帝所有のものを壊すという中国の慣わしで壊される運命だったこの像を建長7年(1255)日本に持ち帰ったものです。

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右は「泉涌寺水屋形」です。

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もう一度「仏殿」です。雪の日の写真をよく見かけます。

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「仏殿」 散水は地面を濡らしていました。

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「舎利殿」です。台風が近づいているという曇った空です。

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皇室と関係が深いことから皇室を意味する「御」をつけて「御寺 泉涌寺」と言われています。
旧京都御所の御里御所を移したといわれる「御座所」は建物、屏風絵、襖絵、庭園、それぞれが素晴しく雅で美しいものでした。
明日はそれらをブログにします。

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 有り難うございます。明日紹介させていただきます。

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2006/09/17

長楽寺 と 長楽館

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長楽寺
延暦24年(805)桓武天皇の勅命によって伝教大師最澄を開基として創建されたと伝える。はじめは天台宗であったが、室町時代の初期に国阿上人(こくあしょうにん)が中興してから時宗に改められた。本尊に十一面観世音立像をまつり洛陽33霊場の一つである。
一条天皇の時(987~1011)に巨勢広高が当寺で地獄変相の壁画を描いたことが今昔物語にみえており、
文治元年(1185)安徳天皇の生母建礼門院が僧印誓(いんぜい)について剃髪されたところでもある。また法然上人の弟子隆寛がここに住み念仏をひろめたが、当時これを長樂寺流とよんで名高かった。(以上、駒札より)

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地図は「長楽館」に合わせていますが、右に真っ直ぐ進むと「長楽寺」です。
双方の関係は無さそうですが、一緒にしました。

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左から、建礼門院出家時29歳の御影、安徳天皇御影、建礼門院御像
それぞれ模写ですが、特別展で実物の公開があるようです。
寂光院に行った折、長楽寺との関係を知り一度訪れたいと思っておりました。
その時の寂光院のブログです。

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相阿弥作の庭苑。
足利八代将軍義政の命を受け相阿弥が銀閣寺の庭を作る時、試作的にこの庭を作ったと伝えられている。

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絵のようです。

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本堂と鐘楼です。

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「建礼門院十三重の御塔」と「平安の滝」。

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長楽館
明治時代に「煙草王」と呼ばれた実業家、村井吉兵衛氏によって建てられたもので、国内外の賓客をもてなす迎賓館として用いられました。
友人3人とのランチはここです。喫茶では入った事はありましたが、今日はレストランでランチをいただきました。

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長楽館の前辺り、円山公園は料亭が多いです。

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2006/09/16

秋空の百万遍・知恩寺 手作り市

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毎月15日は百万遍の知恩寺の「手作り市」です。
今はすっかり全国区になってしまったこの「市」。ツアーにも入っているようです。

爽やかな九月の空。東大路通り、百万遍、京都大学の向かい側です。

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「知恩院」と間違って行かれる方もおられるとか。

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昨日は暑かった~。

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本堂から見下ろしました。本堂では「辻説法」が行われていました。

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ほほえましい十二支 プラス猫です。

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業者さんもおられますが、若い人の様々な手工芸品のお店が多いです。

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和の小物のお店を撮ろうと思って出かけて来たのですが、カメラを向けると怒るお店がありました(2店)。最近はデザインの盗作をする人がいるらしくて。
私も手編みが好きだから、オリジナルを真似されるって嫌なの分ります。
ブログに載せるって説明したらOKでしたが撮るのは止めました。私も不注意でしたが、人前で叱られるのって傷つきますしね。

やはり猫ちゃんに目が行きます。

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こちらも可愛い猫ちゃんです。

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民族楽器の販売ですか? 爽やかな笛の音が漂っていました。

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レイアウトも可愛い。

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青空の下の「市」。

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以前の手作り市の記事です。

11月には「古書籍市」があります。京都古書組合、ネットで古書検索出来ます。

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「進々堂」 普段は京都大学の先生と学生の交流の場のように、静かでアカデミックなCafe。そう気軽に入れるものじゃありません。
今は夏休み中、ちょっと入ってみようかと・・・。「手作り市パワー」と言いましょうか、中は順番待ち状態。先生らしき人は小さくなっておられました。
外観と中庭からCafeを撮ったものです。

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2006/09/15

円山公園から石塀小路へ

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「2ヶ月に一回はランチしようね」のお友達と3人で出かけました。
そう、「京都人の京都知らず」の仲間です。
「柳の白川行ったことあるある?」 「祇園の川のこと?」・・・全くご存知ありません。
「石塀小路知ってる?」 「それってどこ?」・・・何て嬉しいお方でしょうか。
近頃彼女らに京都のガイドしてます。

円山公園から南に人気のコースを歩きます。地図です。

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お店を覗きながら

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甘いものも食べながら

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この辺りはニセ舞妓さんをよく見かけます。

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ねねの道

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石塀小路に入りました。この敷石もかつての市電の敷石らしいです。

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これが石塀。

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田舎亭、テレビによく出ます。

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小さく見えるのが西からの入り口です。

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お昼はどこで食べたかって? 次回です。

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2006/09/14

夜の八坂神社

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上は八坂神社の西楼門から四条通りを見ました。
下はお馴染み四条通りの東の突き当たりですね。

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八坂神社の境内。9月に入れば夜6時半を過ぎるとこの暗さです。

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本殿

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舞殿

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舞殿

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南楼門

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社務所も閉まってしまいました。

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灯篭の影が印象的。

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円山公園からの鳥居です。

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2006/09/13

金閣寺

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ブログ最初の頃は写真を1日2-3枚。それ以上入れたら入れ過ぎかなあと思っていて「雪の日の金閣寺」を少し入れたままでした。今日は追加です。
散り桜の頃、鏡湖池には花びらが浮んでいます。 金閣寺の場所はここです。

鹿苑寺 (金閣寺) 
臨済宗相国寺派。1397年(応永4)足利利満が営んだ山荘を寺にした。
金閣は宝形造りの三層殿閣で、1950年(昭和25)放火で焼け、1955年(昭和30)再建。
池泉回遊式庭園(特別名勝・特別史跡)。萩の違い棚と南天の床柱で有名な茶室夕佳亭(せっかてい)がある。
1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。建立:1397年(応永4年) 金閣寺HP (京都情報システム)

舟形石

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拝観料を払い、門を潜って・・・角を曲がったら・・・

あっと驚きます。目の前に突然現れるのが・・・これッ!。
「金」とはいってもいやらしさなんてありません。「なんて美しいのだろうか」
まわりから感嘆の声があがります。

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上の景色が「ライブカメラ」で見れます。ZOOMで大きくして見てください。

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舎利殿 金閣。三層からなる。
二層は武家造り、三層は中国風の禅宗仏殿造り。漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(サワラ)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(コケラブキ)。
一層は寝殿造りである。

昭和62年(1987)秋、漆の塗替えや金箔の張替え、更に天井画と義満像の復元を行いました。

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鏡湖池(きょうこち)は約6,600㎡(約2千坪)、ここに葦原島(あしはらじま)など大小の島々、畠山石などの奇岩名石が配されています。

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龍門滝。右は安民沢。

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散策コースは裏山に進みます。高台から木々越しに金閣を見るのも良いものです。

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夕佳亭

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雪の日の金閣寺、枚数が少なすぎますので追加しておきました。見てください。

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左大文字は金閣寺のすぐ傍。(写真は大文字送り火の日、火床が並んでいます)
守衛さんの姿が見えるところが、金閣寺の入り口です。
この辺りから龍安寺を通り仁和寺までを「きぬかけの道」というようです。

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2006/09/12

銀閣寺道から哲学の道へ

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今日は「今出川通り」と「北白川通り」の交差する「バス停 銀閣寺道」から哲学の道の入り口を過ぎて「八神社」に向かいます。

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広い交差点の橋を大文字の見える山に向かうと、早々と「哲学の道」の看板がありますが、ここはまだ銀閣寺参道です。

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正面に「大文字山」、疎水沿いは桜並木です。

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哲学の道の分岐点にやって来ました。ここにはいつも人力車が待機しています。法然院、安楽寺、など山沿いの寺院に向かわれるのでしょうね。

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「哲学の道」への入り口です。左の細い道は疎水沿い、かつての市電の敷石が敷き詰められています。右はお店を覗きながらどうぞ。地図はここを中心です。

 ★ 哲学の道を「疎水沿いに歩く」・・・ここをクリック。
 ★ 哲学の道の「山沿いの寺院を巡る」・・・ここをクリック。

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哲学の道の入り口が分ったところで・・・
この日(7月初旬)私達は「大文字山登山」に行きました。・・・で、今日は真っ直ぐ行って銀閣寺で左に曲がり「八神社」へ向かいます。

 ★ 銀閣寺に入る・・・ここをクリック。

Img_9119a   

次、どこに行こうか?。

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銀閣寺の総門を左に曲がると「八神社」はすぐです。

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このごろ狛犬を載せることになってしまったようです。

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神社に入らずに右に進むと「大文字山」への一本道です。

 ★ 「大文字山」に登りたい人は・・・ここをクリック。

大文字山に向かうところの「中尾城址」。歴史に興味のある方に。

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大文字登山の後「喜み家」に立ち寄りました。以前紹介した「ゴスペル」のすぐ傍。

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喜み家(きみや)
「豆かん」が有名ですが、この日(7月初旬)、あまりの暑さに「みぞれぜんざい」を頂きました。
 
「豆かん」も買って帰りましたよ。
その日のうちにたいらげました。

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2006/09/11

銀閣寺

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銀閣寺の正式名称は、「慈照寺」。銀閣寺HP
金閣寺とともに「相国寺」の山外塔頭のひとつで山号を東山(とうざん)といいます。
金閣寺の華やかさな北山文化と対照的に、銀閣寺は東山文化の侘、さびの世界を表現しています。
足利義政が文明14(1482)年に開いた山荘で、義政はここを拠点に様々な文化を育みました。
「観音殿」(国宝)は質素高貴な意匠。「東求堂」は日本最古の書院造りで、住宅建築遺構として国宝に指定されている。
「庭園」(特別史跡・特別名勝)は、白砂を段形に盛り上げた銀沙灘(中国の西湖の型)や、向月台が、月の光を反射して銀閣を照らすという。(以上京都市Web siteより)

銀閣寺に入ります。下は総門です。

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銀閣寺垣(ぎんかくじがき)。
高さ90センチの石垣の上に高さ3.65尺の建仁寺の形式の割り竹垣を乗せ、その上に常緑樹の生垣。椿も混じっているらしい。
これは左側の垣根を言うのかな?右は石垣の上に生垣だし。長さ23メートル、爽快な道です。修学旅行生は生きた英会話の勉強中。

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観音殿・・銀沙灘(ぎんしゃだん)越しの通称「銀閣」、 国宝です。

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「銀沙灘」と「向月台」。

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銀閣寺は今、調査、改修工事中だと思います。

ライブカメラもお休みですが、以前偶然に見た「向月台」のお化粧直しです。  
乗っても全く大丈夫なのですね。左官仕事のように見えます。

方丈です。

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東求堂(とうぐどう)国宝 

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洗月泉

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山に登って行きます。

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銀閣寺の大切な苔(写真は雪の日に撮ったものです)

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登らない人が多いですが是非登ってくださいね。銀閣寺全景です。

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観音殿の鳳凰です。

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2006/09/10

八坂神社 絵馬堂

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八坂神社は京都に来た事のある人なら誰もが知っている所、四条通りの東山への突き当たり赤い楼門。階段辺りは待ち合わせ場所。

八坂神社の中で人の訪れが少なくてひっそりしている「絵馬堂」は私の好きな場所です。・・・「でした」かも知れません。
かつては中に入れ、上にある数々の絵馬を見ることが出来ましたが、今は柵で囲われ、ネットで保護をされております。残念です。赤い楼門を入って左に行って下さい直ぐです。

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坂田藤十郎襲名披露記念の絵馬です。

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祇園祭、郭巨山衣装新調って書いてあります。

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下を覗いて見ると・・・可愛い山鉾が並んでいます。向こうには黒馬が走っているのでしょうね。

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合戦の絵でしょうか。ああ、じっくり下から見てみたい。

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側面は飾り付けた白馬のようですね、正面は闘牛でしょうか。

しゃがんで何が写っているか分らないままシャッターを切りました。だからもう見ることは出来ません。寝転んで懐中電灯持参で見てください・・・。ヘンな人になりますね。

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昔、八坂神社に行くと見上げて楽しんでいたので入れなくなって残念でなりません。

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ここを通っても円山公園に抜けれます。

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2006/09/09

伊藤若冲と石峰寺

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そろそろ若冲ゆかりの「石峰寺」の写真の追加をしなくてはと思っていた時、街でチラッと見た雑誌のポスターに「若冲 」(じゃくちゅう)の文字が。
予定変更で今日のブログは伏見の石峯寺に決定。

そこで伊藤若冲 について調べているうちに「若沖展」がもうすぐ京都で開催されるのが分りました。なんてタイムリーはことでしょう。
「若冲と江戸絵画展」はカリフォルニアのプライスコレクション(江戸時代の個性的な画家たちの作品を集めた)の約600点のうちの109点が出品されており、東京展では31万7000人の入場者がありました。

京都展は9月23日(土)~11月5日(日)。京都国立近代美術館 詳しくはこちら。
尚、細見美術館で9月10日(日)(明日まで)、「細見美術館リクエスト展06、今年も若冲首位なるか?」を開催しています。 場所はここです。  

「百丈山 石峯寺」(せきほうじ)は羅漢さんのお寺として親しまれています。
私はその羅漢さんの表情と、赤い小さな竜宮城のような門が好きなのです。
伏見稲荷大社から近いですから合わせてどうぞ。場所はここです。
本堂背後の山には釈迦如来像を中心に、十大弟子、五百羅漢、鳥獣などを配した一大石仏群があります。
これは江戸時代の画家、伊藤若沖(じゃくちゅう)がこの寺に庵をむすび、このお寺の住職蜜山とともに制作したもので、釈迦の生涯を表しています。
境内には若冲のお墓と筆塚があります。

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最初の赤い門です。

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2つ目、山に入る門です。
この門を階段の下から見上げた写真はこの過去のブログで見てください。

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山に入ってみます。ゆっくり一周しても15分もあれば見て回れます。

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羅漢とは釈迦の説法を聞き、世人より供養される者を言うが釈迦の入滅後、その教えを広めた。

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表情が何とも言えない

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若冲が下絵を描いて石工に彫らせたらしい

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伊藤若沖は1716年に京都の錦小路の生まれ

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2006年2月にライトアップされたときの記事です。写真をたっぷり増やしましたので是非見てください。赤い門がとっても綺麗です。

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2006/09/08

円山公園 夕日

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円山公園
総面積約9万平方メートルの、京都市最初の都市公園である。明治までは、円山安養寺や祇園感神院の境内であったが、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって政府に没収され、明治19年(1886)公園が設けられ、翌年京都市に移管された。

はじめは人工鉱泉療養所や貸席がたちならび歓楽境をなしていたが、火災で焼失したあと、大正元年(1912)に造園家小川治兵衛の手で現在の形に完成された。
東山の緑を背景に、木々の間から寺々の屋根も見えがくれして、京都ならではの公園美を見せている。
園内には、音楽堂などの施設のほか西行(さいぎょう)庵・芭蕉庵などの旧跡も多く、歴史上由緒の深い料亭も営業している。
公園から道は知恩院、安養寺、長楽寺などに通じている。
公園の中央の池付近にあるしだれ桜は、「祇園の夜桜」として有名で春の宵はことのほかにぎわいを見せる。(以上 駒札から)

日が西に傾いた円山公園です。四条通の東の突き当たりにある八坂神社から入っていくのが一般的です。 地図です。

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有名な枝垂桜は悲しいほどにカラスがたかっていました。枝ぶりも無残。来年咲くのだろうか、咲いてもかつての見事さは期待できそうに無いです。
右は除夜の鐘で有名な知恩院の鐘楼、5時を過ぎて閉門 柵越しにちょっとだけ。

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坂本竜馬 中岡慎太郎の像です。

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山沿の由緒ある料亭の道を知恩院の方向に上って行きます。

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「吉水弁財天女」さんです。

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高台に建つ安養寺から日没を待ちました。 カラスが帰って来ました。

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太陽が山に隠れ始めました。

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もう少しで沈みきります。

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2006/09/07

柳の白川と光秀墳

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昨日の続きです。粟田神社の三条通参道から西に進みます。(上は白川沿いの柳)

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向こうに平安神宮の鳥居が見えます。

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「白川橋」から知恩院方面へ南に歩きます。以前の記事に白川沿いの柳の写真が多く載っています 御覧になって下さい。

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いつもは気が付かなかったのですが、この日は北から南に下ったので思わぬものを見つけました。「光秀饅頭」 「東梅宮 明智光秀墳」の碑が。

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「餅寅」、看板の「一」の字のいわれは聞いていませんでした。

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「餅寅」さんのお饅頭を買って帰りました。

左2つは明智家の桔梗の紋の入った「明智饅頭」です。
他は昔からのむぎまんじゅう、抹茶と普通の栗饅頭です。(どれも美味しかったですよ、特に私のお薦めはむぎまんじゅう)

「東梅宮 明智光秀墳」
お賽銭を入れると明かりがつきました。
この祠には珍しい光秀の木像が本尊として祭られ、由緒の端切や遺骨などが納められていたのですが、いつの間にか参詣する人が一品二品と持ち帰り、危うく遺骨、本尊も持ち帰られそうになって、祠に鍵をかけたそうです。
今ここを管理されているのが「餅寅」さんです。

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Dsc30855a_1 「我が首を斬り知恩院にて灰にせよ」
と光秀の命を受けた家来の溝尾茂朝が近くまで持って来たが夜が明けてこの地に埋め自刃して後を追った。
(以上餅寅さんでいただいたプリントより、他にも説はあるようです。いただいたB4版に詳しいことが書かれていました)
右の五輪塔墓が光秀の首塚です。

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先に進みます。阿闍梨橋です。

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水草が綺麗に川底でなびいています。

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知恩院の参道近くまでやって来ました。

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ここを真っ直ぐ行くと知恩院の三門です。遠くに見えています。

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明日は円山公園から知恩院に抜ける高台からの夕日です。

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2006/09/06

粟田神社

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蹴上から三条通りを西に行くと粟田神社の赤い鳥居があります。入って行きましょう。

粟田神社・・・大己貴命の疫病除け御神託による創建で、‘牛頭天王’を祭った粟田口の総社だった。のち天台宗門跡青蓮院の鎮守社に。
社殿は平安初期にできたが江戸中期から末期に本殿、拝殿とも再建。スサノオノミコトを祭り、厄除け、旅行安全の神。
「粟田祭」は10月体育の日前日・体育の日・15日。体育の日前日は祭の呼びもの剣鉾18基が飾りつけられ、「阿古陀鉾」「地蔵鉾」の2基が子ども、十二灯とともに知恩院前の「瓜生石」前にて「れいけん」の祭りを行った後に夜渡りする。
体育の日は神幸祭で剣鉾巡行と神輿渡御。15日は大祭。この剣鉾は祇園祭の山鉾の原型といわれ、災厄除け用である。建立:876(貞観18)年
(以上 京都市観光情報システムより)   地図です。

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北向稲荷神社の狐さんです。

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出世恵美寿神社、(義経が牛若丸の幼少時、奥州下向の際、源家再興の祈願をされた)

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ここからの眺めもいいですよ、ベンチがあって、静かで。

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粟田焼発祥の地の碑と三条通りの参道入り口の鳥居。 

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平安時代に、刀匠三条小鍛冶宗近が住んでいたことに由来する鍛冶神社(参道にある小さい神社です)と合槌稲荷大明神(こちらは三条通りの向かい側にあります)。

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近くにある「仏光寺」にはお墓の最上段に行くモノレールがあります。
右は白川小学校の粟田口の校門です。

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2006/09/05

蹴上あたり

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蹴上の都ホテル辺りから疎水沿いに少しだけ西に歩いて行きます。地図です。
上の写真は老舗料亭の瓢亭です。
ちょっと寄り道して上に、インクラインの下にある「ネジリマンボ」と云われるトンネルです。トンネルの中のアーチ部分のレンガが螺旋状に積まれています。
向こうに抜けると金地院から南禅寺です。

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インクラインの先の噴水のところ、左に動物園の可愛い観覧車が見えます。
(この写真は別の時に写したもの)

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南禅寺はあちらです。

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京都市国際交流会館です。

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京都市国際交流会館、入ってみましょう。

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一階のロビーではゆったりと・・・。2階には手頃な価格のレストランがあります。

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無鄰庵」の塀を曲がって進みます。

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白い塀で囲まれたのは「無鄰庵」。向こうに見えるのが高級料亭の「瓢亭」。

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瓢亭の方から見ました。この道は落ち着きます。

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瓢亭」です(TOPの写真も)。陽が西に傾いていますので逆光です。

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こちらは美濃吉の「竹茂楼」です(裏口)。 瓢亭からは離れていますよ。

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三条通りには今もこのような家並みが残っています。

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2006/09/04

都ホテル 佳水園 探鳥路

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京都に住んでいるから懸賞にでも当たらない限りホテルに泊まる事はありませんので、京都のホテル事情はよく知りません。
「都ホテル」は開業は1890年の老舗ホテル、かつては海外からの国の要人はここに泊まりました。その面影を残すヘリポートもありました。経営不振からウェスティンの外資が入り2002年に改装されて「ウェスティンみやこ 京都」に。
・・で、「都ホテル」の宿泊料は今いくらかなと調べてみました。意外でした、思ったより安いのですね。
数寄屋造りの「佳水園」、ここにも宿泊できます。
醍醐三宝院の庭を模して造られたという「佳水園」は白砂に緑の瓢箪は秀吉の馬印で徳利を、円形は杯、流れるせせらぎはお酒を表現しています。
ホテル5階葵殿庭園につづいています。見せていただけるところは限られています。

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佳水園の横から野鳥の森への山道になります。御百稲荷神社へ190メートル、
野鳥の水のみ場のある「都だいら」へは330メートル。
なだらかな道と階段でグルッと一周してきます。

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野鳥の種類が60数種類観測されているって書いてありました。

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御百稲荷神社

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さすが国際ホテルです。案内板もこの通り

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御百稲荷神社からの眺めです。

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平安神宮の大鳥居、美術館、その右奥に平安神宮が見えます。

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吉田山には左に金戒光明寺、真如堂と塔が見えます。

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都だいらからの景色です。

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ここから下りになって戻って行きます。

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アジサイ園などもあるようです。

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将軍岩。 「鹿威し」(ししおどし)の心地良い音が山に響いていました。

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もう秋の装いです。

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2006/09/03

都ホテルからの眺望

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蹴上にある「ウェスティン 都ホテル」
「都ホテル」といえば古くからある京都では最高級のホテルだと私は思っています。
都ホテルは「ウェスティン 都ホテル」に名前を変え、他にも京都のいくつjかのホテルに外資の名前を見るようになりました。

桜の頃だとホテルからの景色もピンク色でしょう。右の写真は春に哲学の道の若王子寺神社の桜苑から見たもの。山の中腹に大きく存在するのが都ホテルです。

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ロビー

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山の斜面の回遊式庭園、「葵殿庭園」には5階から出ることが出来ます。

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宴会場を見下ろしながら山の斜面の庭園を歩きます。

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三段の滝の「雲井の滝」

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途中にはベンチも

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離れの部屋

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山の中のチャペルではちょうど結婚式が・・・

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お待たせしました。やっとホテルからの眺めです。
これは10階のカフェからです。(一般客が利用できるかは知りません、勿論私は入っていません)

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9階のテラスに出ると京都が一望出来ます。

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右に南禅寺の大きな三門、その左奥に永観堂の塔が見えます。

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これは右奥に比叡山、左端の真ん中から右に伸びているのが吉田山。

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西の山の方向です。平安神宮の大鳥居、美術館が手前にあります。

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※ 都ホテル5階から葵殿庭園を通って行ける醍醐三宝院の庭を模して造られたという「佳水園」と裏山の御百稲荷神社、探鳥路は明日お届けします。

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夫が繋げてくてました。

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2006/09/02

知恩院

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浄土宗総本山 知恩院。 法然上人を開基とする。

この地は法然上人が比叡山から下り、草庵(吉水の草庵という)をむすび、はじめて浄土の教を宣布したところである。
法然の死後文歴元年(1234)弟子勢観房源智が廟所をととのえて「華頂山知恩院大谷寺」と号し、みずから当寺第2世となった。
応仁の乱には一たん兵火を近江にさけたが、のち徳川家康の手厚い帰依をうけ、広大な寺地の寄進をうけて時観をととのえた。
三門は徳川秀忠が元和5年(1619)建立した宏壮雄麗な大楼門で、重要文化財に指定されている。
この他本堂(御影堂・重要文化財)は寛永16年(1639)、大方丈・小方丈(いずれも重要文化財)は寛永18年(1641)の建築で、本堂と集会堂と大方丈をつなぐ三角間の長廊は世に「鶯張りの廊下」と呼ばれる。(以上、京都市観光情報システム駒札)

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三門をくぐると正面には勾配のキツイ石段の男坂があります。なだらかな坂は三門の横の女人坂を上がります。

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男坂を上がったところから三門を見下ろしました。

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御影堂

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これだけお坊さんが並ぶと壮観ですね。

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忘れ傘 (左甚五郎が魔除けのために置いていったという)、見えますか?私近眼で見えませんでした。

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経蔵

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御廟への階段。白い土塀が美しいです。

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御影堂に入って方丈の庭園を見せてもらいに行きます。

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方丈の庭園。花のころに来たいです。

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黒門に向かう北門から・・・。

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この坂が私は好きなのですが、このごろ黒門が閉まっていることが多くて。。。

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京都文化祭典において10月15日(日)、18:30~
御影堂(国宝)において、茂山千三郎(大蔵流狂言師)、チェン・ミン(二胡)らの共演による演奏が行われます。(有料)  詳細はこちら

ライトアップは「2005花灯路スライドショー」でどうぞ。今公開中の「友禅苑」もあります。バス停「知恩院前」からすぐの白川沿いの美しい柳の並木はこちらをどうぞ

※重複する写真があります。
ブログ初期に入れた「散策6 八坂神社~平安神宮」を散策路としてやり直します。

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車椅子用のスロープです。

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2006/09/01

青蓮院門跡

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東山の裾野を八坂神社から平安神宮へと辿るとき「知恩院」、そしてこの「青蓮院」を通ります。
カテゴリー「散策6」としてコースの途中に立ち寄ったり、「花灯路」のライトアップ時の夜を紹介しましたが、「青蓮院門跡」として独立していませんので紹介します。

青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は、天台宗総本山比叡山延暦寺の京都五ヶ室門跡の一つであり、別名を粟田御所(あわたごしょ)とも言う。
比叡山東塔の南谷にあった住坊「青蓮坊」がその起源。

天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられ、大変格式の高いお寺とされております。
五箇室とは、青蓮院門跡・妙法院門跡・三千院門跡・曼殊院門跡・毘沙門堂門跡の五ケ寺を指します。
門跡寺院というのは、門主(住職)が皇室或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺のことです。ですから、御殿のような趣を持った、上品で優しい雰囲気が漂っているのではないでしょうか。

Dsc30752a_2  大楠

門前の名木「楠」。
親鸞聖人御手植と伝えられ五本ある。
京都市の登録天然記念物指定他、多数の指定を受けています。
(以上青蓮院公式サイトより

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ライトアップの時はお茶席としてこのようになります。

写真は以前に紹介していますのでここでは小さく載せておきます。

拡大して見てください。

池泉回遊式の庭園

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青蓮院のライトアップの写真は「2006 花灯路」に数枚入っていますが、ここからは載せていなかったものです。
尚、今後のライトアップ10月27日(金) ~ 12月3日(日) につきましてはコチラ。

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※ 散策コースで少ししか写真の入っていなかった寺院の写真の追加を暫くの間していきます。明日は知恩院の予定です。(カテゴリーの見直しもします)

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