« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月の記事

2006/10/31

宝ヶ池 京都国際会館 黄昏

Dsc40444a

日没が早くなって、宝ヶ池国際会議場に着いたのは、夕闇がすぐそこに迫っているころ。
国立京都国際会館は、1966年、風光明媚な京都市、宝ヶ池に、わが国唯一の国立による国際会議場としてオープンしました。
以来、地球温暖化防止京都会議(COP-3)や第3回世界水フォーラムなどをはじめとする数々の国際会議や国内会議が開催されています。
2003年春には、音響、映像、同時通訳施設をすべてフル・デジタル化することで、各会場は光ファイバーでネットワークされた会議運営システムが完備され、
素晴らしい自然環境とともに、充実した各種設備を有する世界に誇れる国際会議場です。
京都国際会館公式サイト  場所はここです。
夕焼け時は犬の散歩で賑わっていました。

Dsc40438a

Dsc40441a

大きなかえでの葉、赤く色付き始めています。

Imi_0778a

綺麗なグラディエーションです。

Dsc40443a

Imi_0780a_1 

比叡山です。

Dsc40445a_2

Dsc40435a_1

宝ヶ池にも夕闇が迫っています。

Imi_0810a

京都国際会館へはJR京都駅から地下鉄で20分。

Imi_0877a

Imi_0893a

こんにちは

Imi_0836a

池の鴨

Imi_0860a

次は昼間に行って、広い宝ヶ池をお届けします。

Imi_0854a

カラスが帰って来ました。

Imi_0881a

秋の日のつるべ落とし・・・あっと言う間に暗くなりました。

Imi_0887a

Imi_0885a

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

紅葉の名所写真 「東福寺」 通天橋 (2004/12/8)
見頃の頃はもっともっと紅く楽しませてくれます。

Dsc14280a_1

| | コメント (4)

2006/10/30

黄檗山 萬福寺(万福寺) 意匠・造形

Imh_8899a_1

黄檗山 萬福寺(万福寺)の4回目です。

私が「萬福寺」が好きなのには訳があります。萬福寺の公式サイトです。
高校時代に学校から1泊2日の研修に行っているのです。万福寺です。
座禅、写経、法話、掃除、、、他に何があったでしょうか? 忘れています。
当たり前ですが修学旅行気分ではいけません。静かに静かに全ての行動は音を立てずに行わなければいけません。
食事も一切無言、噛む音、すする音、皿の音、立つ音、、、一切禁止です。
一汁二菜(一汁一菜だったかも)、お米(麦が混ざっていたかも)の一粒たりとも残らず食べて、食事が終われば、お皿にお茶を少し注いで、沢庵でお皿を洗って、音をたてずに沢庵を食べてそのお茶を飲みます。(沢庵は飲み込みました)
洗い立てのように綺麗にして食器を返すのです。

可愛い小坊主さんを何人か見かけました・・・「お~~可哀そうに~~あの修行をしているの?」と思ったものです。
あの小坊主さんも今やどこかのお寺の立派な御住職になられているでしょうね。

と云うわけで、今日も万福寺です。万福寺
萬福寺は竜の形に伽藍が配され、白砂は雲に見立てられているそうです、上空から見てみたいものです。
木、白砂、それぞれの意匠の美、組み合わせの造形の妙。それにもとても魅かれています。集めてみました。

法堂(はっとう)前の「卍(まんじ)くずしの勾欄」です。(TOPの写真も)
開山堂・法堂正面の匂欄は、卍及び卍くずしの文様になっています。これらはすでに奈良時代の法隆寺などの南都寺院に使われていますが、江戸時代初期にあらためて黄檗を通じてもたらされたものです。

Dsc40103a

Imh_8911a 

椅子もこうです。座ってもいいのですよ。

Dsc40093a

法堂は禅寺における重要伽藍のひとつで説法を行う場所です。

Dsc40105a

円形と四角、卍くずしと和服の女性。

Imh_8950a

正面は慈光堂(重文/延宝3年(1675)建立)

Imh_8896a_1

賑やかな色の無い世界が素晴しい。

Imh_8910a

法堂からみた大雄宝殿です。白砂の直線が、毎日ひかれるそうです。

Dsc40112a

大雄宝殿から見た天王殿、ひし形の石、その交差。

Imh_8954a

天王殿から見た三門までの道、長いです。直線のひし形の石の列。

Imh_8987a

Imh_8925a Imh_8937a

Imh_8873a_1

参拝の記念に。

Imh_8977a_1

放生池

Imh_8850a

明日も万福寺ですが、きびきびしたお坊さんもおられます。
カテゴリーを変えました。●23 黄檗山 萬福寺です。今までのが入っています。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

紅葉の名所写真  詩仙堂 (2004/12/1)

Sisendou130 

| | コメント (4)

2006/10/29

萬福寺 総門を入って

Imh_9006a   

下は「萬福寺」の総門です。万福寺
重文・寛文元年(1661)創建。元禄6年(1693)再建。
中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門の牌楼(ぱいろう)式を用い、漢門とも呼ばれました。

Imh_8834a

「第一義」は第5代高泉の書。

   Manpukuji04

Imh_8836b_1

総門を入ったところの「方生池」、蓮が見事に咲きます。
放生とは捕らえられた生き物を放して功徳を積むことで、この池で放生会という儀式が行われます。その形は半月型を為して、風水上の機能を有しています。

Dsc40060a

「萬寿院」 TOPの写真もここです。総門を入って左にあります。

Dsc40070a

ここの上空は航路になっているようで飛行機が行き交います。
龍がとても古くて驚かされます。

Dsc40069a

Imh_9007a 

Dsc40066a

Dsc40132a

Dsc40129a

昨日の最後の写真の中はここです。

Dsc40133a

「萬寿院」の門をを出て次に向かいます。

Dsc40068a

「天真院」、萬福寺三門の右にあります。万福寺
荒行で知られている了翁禅師が晩年を過ごしたお寺で、拝観謝絶でした。
左は普茶料理の銀杏庵です。

Imh_9000a

ゆっくり萬福寺の中を拝観しましたので「三門」を入って広い境内に続きます。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

紅葉の名所写真 「圓光寺」 (2004/12/1)

Enkouji02_1

| | コメント (4)

2006/10/28

万福寺近くの寺院

Imh_8800a

宇治の萬福寺には何度か行っていますが、横にある中国風の寺院がいつも気になっていました。先日、萬福寺に入る前忘れずに行ってきました。万福寺
これらの寺院はいずれも萬福寺の塔頭(たっちゅう)です。場所はココです。

「萬松院」(ばんしょういん)
隠元禅師の法嗣(はっす)・龍谿(りょうけい)禅師の塔所(たっしょ)であり万福寺の塔頭寺院の一院である。

Imh_8764a   

Imh_8779a_2

開山堂

Dsc00013a

萬福寺は龍の形に伽藍を配置していると聞きました。
だからここも「龍」なのだと。表情がとても可愛い。

Dsc00010a

Dsc00011a 

駐車場横のお土産屋さんの前にあった「亀石」・・・巨大亀です。

 Dsc00026a_1

穏やかに白壁の道が続いています。

Imh_8785a_1

「龍興院」
黄檗山萬福寺3代の慧林性機禅師が病気を機に、建立して退隠の処としました。 凄い屋根です。

Imh_8781a

 Imh_8782a

Imh_8787a

Imh_8791a

出世地蔵尊

Imh_8792a

灯篭の多いお寺でした。酒樽で作られた・・・???

Dsc00034a_2 Imh_8797a   

  Dsc00031a

「宝蔵院」
鉄眼道光が長い歳月をかけて完成させ、現在もお経を印刷する際に使用される一切経の版木約6万枚が納められています。

Imh_8801a

「宝善院」

Imh_8817a

白いアーチの向こうに入ってみました。

Imh_8820a

Imh_8821a

この寺院の入り口は萬福寺の総門の中でした。次回に入ります。万福寺

Imh_8831a

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

紅葉の名所写真 「曼殊院」 (2004/12/1)
今年のJRの「そうだ京都行こう」のポスターでお馴染みの曼殊院です。
見とれる紅葉ですね。

Dsc13743a

| | コメント (5)

2006/10/27

賀茂川 鳥たちはゆったり

Dsc00216a

「大沢の池、下鴨神社の中秋の名月」も見に行かなかったし、「時代祭」「鞍馬の火祭りは」も行かずに終わったし、、、。「宇治のライトアップと田楽まつり」は行ったものの、何やら風邪がぶり返したし、、、。何だかスッキリしない今年の秋。

紅葉まではまだまだだし、賀茂川に行って来ました。
北大路橋から北山です。
川の中はギッシリ流れてきた土に草が生えて鳥達の住み家です。

Dsc00170a_1

白鷺の巣があるのでしょうか?

Dsc00178a

「大文字」は、ほぼ正面に見えます。

Dsc00192a

Dsc00217a

白鷺、アオサギ、鴨がのんびり漂っているようで、小魚を捕っているのでしょうね。
首は水の中、、、尾が出ています。

Dsc00218a

可愛いお尻です。

Dsc00211a

アオサギも魚を狙っているんだとは思うのですよ、ノンビリしてるようですが。

Dsc00207a

鴨たちと白鷺

Dsc00225a

11月になれば「ゆりかもめ」がやって来ます。

Dsc00231a

白鷺とアオサギの見つめる先は・・・。小魚が昇るのでしょうか。

Imh_8690a

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

紅葉の名所 ライトアップの「実相院」 (2004/11/30)

Dsc13593a_1

| | コメント (10)

2006/10/26

宇治田楽まつり

Imh_9300a

多くの歴史に彩られた宇治は、源氏物語をはじめとする豊かな文化の舞台でありました。平安時代には宇治の白川に、「本座」と呼ばれる芸能民の集団があり、宇治の離宮際をはじめ、京都や奈良の祭礼で華やかに田楽を演じていたと伝えられています。しかし、その後、狂言や能が盛んになるにつれ、田楽は歴史の彼方に忘れ去られ、宇治の地からもその姿を消してしまいました。猿楽とともに日本の芸能の原点といわれる田楽は、まさに、宇治の失われた文化遺産といえるでしょう。
 10年前からこのような宇治の文化遺産を復興する活動がおこなわれ、平成15年からは宇治市民が主体となった「宇治田楽」が創作され、宇治の芸能祭りの伝統が生まれつつあるといえます。 宇治田楽まつり公式サイト

京阪宇治駅前

Imh_9025a

朝霧橋にものぼりが並んでいます。

Imh_9038a

中の島に行くとこのような舞台があり田楽まつりが行われる事を初めて知りました。

Imh_9065a

通りを歩くと、祭りの衣装を着たり練習をしている人たちがいました。

Imh_9079a

Imh_9082a_1

暗くなってから中の島の舞台に戻ってきました。

Imh_9128a

宇治市出身の世界的パフォーマーのキム・チャンヘンの前座

Imh_9138a

六嶋由美子さんの昔言葉の「かたり」は見事なものでした。

Imh_9149a

火入れの儀(祭りの始まりです)

Imh_9200a 

入祭唱(にゅうさいしょう、田楽衆が、大地と空、宇治の人々に祭りの始まりを告げて歌います)

Imh_9239a

訪い(おとない、夕闇に響く笛の音とともに、精霊が放つ月の雫が地面に落ちると、次々と無垢な子うさぎが生まれます)

Imh_9231a

童舞(月の使者、子うさぎたちの舞)

Imh_9270a

龍舞(宇治川に棲む水神の舞は、やがて飛竜を思わせるうねりとなり、雷鳴を轟かせます)

Imh_9324a_1

言祝(ことほがい、歌詠みたちが、宇治の自然を讃え、田楽の面白さに喝采を送ります)

Imh_9359a

惣躍り 破(そうおどり は、ひとびとは大地の恵み、稲の初穂を手に踊ります)

Imh_9375a

宇治茶礼賛(うじちゃらいさん、宇治に古くから伝わる茶摘歌の旋律と歌詞をもとに、新たに創作した茶摘おどり)

Imh_9389a

まだまだ田楽まつりは続いていましたが、私達は昨日紹介した「宇治神社」「宇治上神社」のライトアップに向かいました。新しい伝統を作って行こうという宇治の人々の熱気が感じられる祭りでした。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

紅葉の名所写真  「清水寺」 ((2004/12/8)
スイスの財団が実施している「新・世界七不思議」を選ぶ取り組みで、清水寺が最終候補地21の中に入りました。(木造建築だからかな 舞台の柱はスゴイから)
来年7月発表、投票で選ばれます。詳しいこと、投票はこちら

   Dsc14297a_1

21に選ばれたのは・・・
アテネ・アクロポリス、タージマハル、アルハンブラ宮殿、ローマ・コロッセアム、イースター島モアイ像、エッフェル塔、アンコールワット、万里の長城、他 強豪揃い。

| | コメント (4)

2006/10/25

宇治灯り絵巻

Imh_9102a

宇治灯り絵巻
世界遺産の宇治上神社をはじめ源氏物語ミュージアムから宇治神社、朝霧橋、宇治発電所内に幽玄の灯りがともりました。
点灯が5時、日の入りが早くなってきました。
宇治市観光協会情報公式サイトです。 宇治の地図はここです。
源氏ろまん京都宇治 Web Guideです。

Imh_9077a

時代祭の前日に行って来ました。(風邪がぶり返してしまいました)
宇治橋方面。電球が灯っているのは明るく、暗いのはろうそくです。

Imh_9083a

橘橋、赤い欄干は灯りにも映えます。

Imh_9113a

宇治川に浮ぶ舟が行き交います。

Imh_9118a

橘島(中の島)から、

Imh_9134a

船着き場

Imh_9392a 

宇治神社 階段の上まで灯りが続きます。階段の上から見下ろすと。

Imh_9409a_1

宇治神社 本殿です。

Imh_9418a

宇治田楽の出演者です。(次回紹介します)

Imh_9421a

宇治上神社 世界遺産です。

Imh_9468a

お茶席になっています。

Imh_9443a

Imh_9451a

源氏物語ミュージアムへの道

Imh_9484a

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

「今宮神社参道」(大徳寺横)の銀杏並木です。

Dsc13374a_1

| | コメント (8)

2006/10/24

時代祭 Ⅲ 行列 ②

Imh_9884a   

行列の続きです。
上は時代祭の中心的な神輿です。

藤原公卿参朝列(ふじわらくぎょうさんちょうれつ) 藤原時代
藤原氏の全盛期である摂関期の貴族が朝廷に参る様子を示した列,第3社区域(上京区・中京区の一部)が務めます。

Imh_9745b_1

Imh_9750a_1

平安時代婦人列(へいあんじだいふじんれつ) 藤原時代

紫式部(むらさきしきぶ)・清少納言(せいしょうなごん)・小野小町(おののこまち)・巴御前(ともえごぜん)などの列,祇園甲部歌舞会と先斗町(ぽんとちょう)お茶屋組合が1年交替で務めます。

巴御前

Imh_9761b_1

横笛

Imh_9762a_1

常磐御前

Imh_9765a

清少納言、紫式部

Imh_9777a_1

小野小町

Imh_9784a_1

和気広虫(和気清麻呂の姉で、孤児を救済したので里親制度・施設養護の創始者といわれる。

Imh_9788a_1

百済王明信(百済王理白の子で、桓武天皇の信頼が厚かったので内侍所の尚侍(女官長)をつとめた。)

Imh_9793a_1

延暦武官行進列(えんりゃくぶかんこうしんれつ) 延暦時代
延暦20(801)年に征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が都を出陣する様子を表した列,第2社区域(北区・左京区・上京区・中京区の一部)が務めます。

Imh_9808a_1

延暦文官参朝列(えんりゃくぶんかんさんちょうれつ) 延暦時代
延暦15(796)年元日,平安京大極殿で行われた朝賀儀に参る文官の様子を示した列,第1社区域(北区・上京区の一部)が務めます。

Imh_9816a_1

Imh_9823a_1

神饌講社列(しんせんこうしゃれつ)
行在所祭・神宮本殿祭に神饌を献ずる列,京都料理組合の有志が務めます。

Imh_9834a_1

前列(ぜんれつ)
神幸列を警備する列,第7社区域(左京区の一部)が務めます。

Imh_9845a_1

Imh_9852a_1 Imh_9859a_1

神幸列(しんこうれつ)
桓武天皇・孝明天皇の2基の神輿とその前駆を司る神職などで構成,平安神宮が司ります。時代祭は、御祭神が京都市民の安泰をご覧になるもので、神幸列は全行列の中心で各列はそのお供ということだそうです。

Imh_9865a

後の桓武天皇の御鳳輦(ごほうれん、御祭神の乗る御輿)。 TOPの写真は先の孝明天皇の御鳳輦です。

Imh_9889a

白川女献花列(しらかわめけんかれつ) 
白川女風俗保存会が務めます,昭和43年から加わりました。

Imh_9901a

弓箭組列(きゅうせんぐみ)
神幸列の後を警備する列,第1回の行列から変わることなく南桑田郡(現亀岡市)・船井郡(八木町)有志が務めます。

Imh_9918a

最後のこの列が通ると観客から大きな拍手が起こりました。
最後尾を走るマラソンランナーを励ますような雰囲気でした。

18列を全部入れました。
皆様最後までお付き合い有り難う御座いました。お疲れ様。
行列を追いかけて、河原町御池から平安神宮に向かいました。そこでの写真はまたの機会に。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

| | コメント (8)

2006/10/23

時代祭 Ⅱ 行列 ①

Imh_9654a

「時代祭」 2km、2000人の行列が、明治維新から平安時代へと時を遡ります。

時代祭は,葵祭・祇園祭と並ぶ京都三大祭の一つで,平安神宮の祭礼として,桓武天皇が長岡京から遷都されたと伝えられる10月22日に催されます。

明治28年、遷都1100年に沸く京都で「第四回内国勧業博覧会」が開催されました。
この時、京都はパビリオンとして平安宮大極殿(だいごくでん)の5分の3の模型を建てましたが、その素晴らしさが評判となり、博覧会終了後も『残してほしい』という保存運動が起きました。
そこで、この模型の大極殿をそのまま神社として残す事となり、『平安神宮』が誕生いたしました。神社が誕生しますと祭礼(祭り)が必要となります。
そこで多くの市民が、この新しい神社のための祭発足に参加し、一大時代仮装行列が考案され『時代祭』が生まれました。
古くから都であった京都では、古時代の衣装も多く残っておりましたので、短期間で各時代の装束を揃える事も可能でした。
そして、遷都1100年にちなんで、桓武天皇が長岡京から遷都されてきたと伝えられている10月22日が祭礼日に決まりました。
祭礼の行列は、この時から、平安時代から明治維新までの装束に扮するものと決められ、当初、6行列が古い時代から順に巡行しておりましたが、大正時代に入り、『明治維新から平安時代へと時を遡ってパレード』するという、当時では、人々を驚かせる発想の転換を経て、現在では18行列がパレードしています。(京都ガイドブックより)

時代祭り先頭

Imh_9541a

維新勤王隊列(いしんきんのうたいれつ)  明治時代
丹波国北桑田郡山国村(京都市右京区京北)の人々が務めた山国隊が原形,現在は第8社区域(中京区朱雀学区)が務めます。 

Imh_9551a

Imh_9556a

幕末志士列(ばくまつししれつ) 明治時代
坂本龍馬(さかもとりょうま)・桂小五郎(かつらこごろう)など24人の志士で構成,京都青年会議所の有志が務め,昭和41年に加えられました。

Imh_9579a

西郷隆盛

Imh_9583a

徳川城使上洛列(とくがわじょうらくれつ) 江戸時代
即位の礼や年始の表啓など京都における重要な儀式に,江戸幕府が将軍の名代として遣わした大名列,元々は徳川上使と書かれていました。第6社区域(下京区・南区)が務めます。

Imh_9607b

Imh_9615a

江戸時代婦人列(えどじだいふじんれつ) 江戸時代
和宮(かずのみや)・吉野太夫(よしのだゆう)・出雲阿国(いずものおくに)などの列,祇園東・宮川町のお茶屋組合が1年交替で務めます。

Imh_9623a

吉野太夫

Imh_9635a

出雲阿国

Imh_9640a

豊公参朝列(ほうこうさんちょうれつ) 安土桃山時代
慶長2(1597)年9月の豊臣秀頼(とよとみひでより)元服の際に,伏見城から御所へ参内する豊臣秀吉(とよとみひでよし)の一行を表した列,秀吉は,牛車に乗っていると設定されているため,行列には姿は見えません。第10社区域(伏見区)が務めます。

Imh_9656a

織田公上洛列(おだこうじょうらくれつ) 安土桃山時代
正親町天皇(おおぎまちてんのう)の命を受けて,尾張の織田信長のもとを上洛要請に訪れた立入宗継(たてりむねつぐ)と,永禄11(1568)年10月に上洛を果たした信長と家臣達の列,第五社区域(東山区・山科区と中京区・下京区の一部)が務めます。

織田信長

Imh_9669a

羽柴秀吉

Imh_9671a

柴田勝家

Imh_9686a

楠公上洛列(なんこうじょうらくれつ) 吉野時代
正慶2(1333)年6月に隠岐・伯耆から還幸する後醍醐天皇を兵庫に出迎え,上洛の先駆を務めた楠木正成(くすのきまさしげ)と弟正季(まさすえ)を中心とする列,第9社区域(右京区・西京区)が務めます。

楠木正成、弟正季(まさすえ)

Imh_9700a

中世婦人列(ちゅうせいふじんれつ) 吉野時代
淀君(よどぎみ)・静御前(しずかごぜん)や大原女(おはらめ)・桂女(かつらめ)などの列,上七軒歌舞会が務めます。その内,大原女・桂女は,大原農協婦人会・桂及び桂東婦人会有志が扮しています。

大原女

Imh_9710a

桂女

Imh_9712a

淀君

Imh_9716a

静御前

Imh_9720a

城南流鏑馬列(じょうなんやぶさめれつ) 鎌倉時代
承久3(1221)年5月の承久の乱に際して,後鳥羽上皇が城南宮の流鏑馬にかこつけて畿内周辺の武士を召した時,それに応じて上洛した武士達を表した列,第四社区域(中京区・下京区の一部)が務めます。

Imh_9730a

Imh_9732a

Imh_9736a

残念なことをしました。
京都人は「時代祭り」なんて見に行かないものなのです。
だから風邪を引いたのを口実に夫には「観光客してらっしゃい」と追い出したのですが、写真を見てみると良いじゃないですか。

昔見た記憶からですが、とても好きなところがあるのです。
それは写真4枚目の「ピーヒャラ ホットイテ」の笛の音と共に現れる「維新勤王隊」の行進です。足を横に振り上げて歩く姿がとてもカッコ良く見えたものです。
・・・でも、写真じゃ普通に歩いているみたい。来年確かめに行かなくては。
7枚目の大名行列の毛槍の投げ渡しも上手だった。今でも忘れられないくらいに印象深いものです。来年は絶対に行こうと思いましたね。

このあとまだ行列は明日に続きます。

今日は枚数が多いので「紅葉の名所写真」はお休みです。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

| | コメント (2)

2006/10/22

時代祭 Ⅰ 出発前

Imh_9538a

晴天の中で「時代祭」が行われました。
残念ながら私は風邪でしんどかったので、夫に行ってきてもらいました。
今回は行列が始まるまでの和やかな風景をお届けします。

御所に入ると、既に時代祭りの衣装を着た人々が行き交っていました。

Imh_9491a

行列が出発する建礼門に近づくと、各列が出番を待って待機しています。

Imh_9495a

Imh_9498a

大原女

Imh_9504a

静御前

Imh_9507a

淀君の女官

Imh_9510a

桂女  打ち合わせですね。

Imh_9511a

城南やぶさめ列

Imh_9513a

お父さん頑張って!

Imh_9514a

留学生もお祭り参加でしょうか? 友人と記念撮影ですね。

Imh_9515a_1

Imh_9516a_2

常磐御前

Imh_9520a_1

百済王明信

Imh_9526a_1

紫式部のご到着です。

Imh_9517a

巴御前もやって来ました

Imh_9524a

清少納言を加えて記念撮影です。

Imh_9535a

延暦文官参朝列

Imh_9536a

馬も出番を待っています。

Imh_9537a

昔は、各町内に配役が回って来たって聞いていましたが、今はどんな方法で決められているのでしょうか?

今日はブログ造りお休みでラクチンでした。
気楽だから「乗っ取られたって良いなあ」明日も宜しく。旦那ちゃん(ちょっと持ち上げ) 
明日も行列も楽しみです。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

「紅葉の名所写真集」 今日は「無鄰庵」 (2004/11/16)

Dsc12935a

| | コメント (13)

2006/10/21

城南宮 Ⅱ 神苑

Imh_7345a

城南宮神苑(楽水苑)の紹介です。
この日はずっと雨が降り続いていましたが、いにしえの都の時代にいるような気分に浸ったひとときでした。

「源氏物語花の庭」
「源氏物語」に登場する100余種が植栽されています。陽の光に照り映え風にそよぐ草木に、平安の雅、自然を慈しむ日本の心が感じられます。

Imh_7235a

Imh_7249a

Imh_7262a

「春の山」
城南離宮の秋の山に対する「春の山」。築山から禊の小川が流れ、椿、枝垂れ梅、三つ葉ツツジ、ササユリと春の草木が次々と咲きます。

Imh_7275b

Imh_7293a

Imh_7285a

「平安の庭」
平安貴族の神殿造の邸宅の庭園にならい、社殿を背景に広がる池に、段落ちの滝と、遣水が注いでいます。池の汀(みぎわ)の野筋には、オミナエシ、萩、リンドウが咲き、秋野を彩ります。この庭の遣水で「曲水の宴」を行います。

Imh_7302a

Imh_7298a

「室町の庭」
庭園史上黄金時代を迎えた室町時代の作庭手法で築かれた池泉廻遊式の庭園。
わび、さびの静寂の中にも明るさがあり、船着場の藤の花や色とりどりのツツジが美しく咲きます。

Imh_7340a

Imh_7332a

Imh_7321a_1

「桃山の庭」
蘇鉄の島から岩島が続き、後の大刈り込みがゆるやかな丘陵を、広い芝生が南国の明るい海を想わせる、豪快な枯山水の庭園です。
お茶室から眺める紅枝垂桜は格別です。

Imh_7336a 

Imh_7326a

「城南離宮の庭」 (TOPの写真も)
城南離宮(鳥羽離宮)の風景と建物を石組で表した枯山水の庭園。

Imh_7347a

Imh_7348a_1

Imh_7350a

Imh_7351a

庭園の説明は、いただいたチケットに書かれていました。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

南禅院の庭 (2004/11/16)

Dsc12981a

| | コメント (6)

2006/10/20

城南宮 Ⅰ 今日から紅葉だより

Imh_7200a

伏見の「城南宮」 場所はここです。
城南宮が鎮まる鳥羽の地は、平安京の表玄関に当たる交通の要衝であり、また鴨川に臨む水郷の景勝地でした。
やがて貴族の別荘が建てられるようになり、平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を開始されたのです。
上皇の御所や御堂、また貴族の宿所などの建物が建ち並び、人々が行き交う様子は都遷りのようであると形容された程です。こうして白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治・文化の中心となり副都心の賑わいを見せたのでした。(以上公式サイトより)

Imh_7178a

 平安遷都の際、都の南に国の守護神として創建され、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)をお祀りする。
平安時代の末、白河上皇によって城南離宮(鳥羽離宮)が造営されると一層崇められ、城南祭では流鏑馬(やぶさめ)や競馬(くらべうま)が行われた。

また、離宮は方違(かたたが)えの宿所や熊野詣での精進所となり、方除の信仰が高まった。承久3年、後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を集め、承久の乱が起きたことは名高い。
江戸時代以来、城南祭では三基の神輿が氏子地域を渡御、「餅祭り」とも称され大いに賑う。皇室の崇敬厚く、孝明天皇は攘夷祈願の祭に行幸されて吹散(ふきちり)を賜り、慶応4年正月、城南宮に陣を構えた薩摩藩の大砲が轟き、鳥羽・伏見の戦いが始まり、明治維新を迎えた。
日月星を象った三光の御神紋は神功皇后の旗印に因んで方除の御神徳を表し、建築・転宅・交通・旅行安全の神として信仰が深い。
 神苑「楽水苑」は「源氏物語 花の庭」と称され、四季の風情に富む名園として名高く、春秋に「曲水の宴」が雅やかに行われる。伏見区中島鳥羽離宮町(以上駒札)

「城南宮祭」 少しハッキリさせました。

Imh_7187b 

”曲水の宴”など雅な行事があることは知っていました。でもこんなに大きな神社だったとは知りませんでした。ブログやサイトを作っていなかったら一生行く事はなかったかもしれません。雨の日に訪れました。

本殿

Imh_7209a

狛犬も風格があります。

Imh_7211a_2 Imh_7210a_1

Imh_7217a

Imh_7226a

Imh_7218a

Imh_7220a

Imh_7224a

御祈祷、今日はお宮参りです。

Imh_7214a

Imh_7231a

Imh_7205a

Imh_7206a_1

「春の山」「平安の庭」「室町の庭」「桃山の庭」の5つの異なる趣の庭からなる 神苑の「楽水苑」は次回に紹介します。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

今日から以前に撮った写真で 一足早い京都の秋を一枚。

「法然院」 哲学の道の山沿いにあります。そろそろこれくらい色付いているかな?

Hounenin2

| | コメント (2)

2006/10/19

岩戸妙見宮 圓成寺

Imh_8291a

やっとサーバーのメンテナンスが終わりました。昨日予定より早く終了したのでそのつもりになってたのでしたが又障害が起きたらしく今になりました。
コメントの受付もできませんでした。してくださった方、ゴメンナサイ。

お待たせしていた「岩戸妙見宮 圓成寺」です。「光悦寺」の向かい側にあります。
何気なく入ってみて・・・紅葉の多さに驚きました。

   Imh_8277a

光悦寺の参道から見てみました。真正面です。

Imh_8274a

空に向かって赤いのぼりが鮮やかです。

Imh_8280a

境内は広くてのんびりです。

Imh_8292a

Imh_8320a

Imh_8342a

そろそろ陽が傾いて・・・

Imh_8295a

これが紅葉すればさぞかし美しいことでしょうね。

Imh_8330a

Imh_8329a

Imh_8302a

ススキに秋の気配が

Imh_8332a

常富殿

Imh_8303a

秋山自雲霊神(痔の神)

Imh_8316a

厳戸の瀧 (いわとのたき)

Imh_8308a

風邪などひいたことがない私が今日は寝ていました。
こんどの土日は忙しいのに。

-------------------------------------------------------------
 京都を楽しんでいただけましたか? クリックで応援してくださいね。 
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

光悦茶家で一服しました。

Imh_8153a

Imh_8154a

| | コメント (8)

2006/10/17

御香宮 小堀遠州の石庭

Imh_7650a_1

時々伏見の友人の所に出かけます。
ちょうどお祭りの期間だったのですが あいにくの小雨、これも慣れないカメラ、
後で「アンダーで撮っとる」と言われてしまった写真でとても暗いのです。

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ) 公式サイトです。場所はここです。

Imh_7765a 近所では
「ごこうぐうさん」と呼ばれています。
由緒は拡大して読んでくださいね。

表門 (伏見城大手門) 元和八年(1622)、徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の追手門を拝領して寄進したものです。

Imh_7759a

門の上には中国二十四孝の物語を彫った四つの蟇股(かえるまた)があります。
右から
「楊香」・・・楊香と云う名の娘が猛虎より父を救った話。
「郭巨」・・・郭巨は母に孝行する為に子供を殺して埋めようとした所から
       黄金の釜が出土、子供を殺さず親孝行が出来た話。
「唐夫人」・・・夫人の曽祖母は歯が無かったので
       自分の乳を飲ませて祖母は天寿を全うした話。

「孟子」・・・孟子は寒中に病弱の母が筍を食べたいというので、
       雪の中に彼の
孝養に感じ寒中にも拘らず筍が出てきた話

Imh_7590a

参道にはズラーッと屋台が並んでいます。 正午過ぎ、まだちょっと雨が降っています。お祭り本番はこれからです。  右は「神馬」

Imh_7592a_2 Imh_7633a_2

拝殿

Dsc08737a

平成九年(1997)六月に半解体修理が竣工し復元されました。
極彩色の桃山文化を見ることができます。

Imh_7737a Imh_7742a_1

Imh_7645a 

Imh_7601aa_1 Imh_7599a

Imh_7639a

本殿

Imh_7607a_1

Imh_7608a_1

御香水と御香水口

Imh_7612a_2  Imh_7732a

本殿を回ってみます。

Imh_7626a

Imh_7617a Imh_7622aa

Imh_7730a小堀遠州が伏見奉行に命ぜられた時、

奉行所内に作った庭園の石を

戦後移して作った石庭です。

Imh_7717a

小堀遠江守政一が元和九年(1623)、伏見奉行に着任すると、庁舎の新築を命ぜられた。寛永十一年(1634)七月、上洛した三代将軍家光をここに迎えた時、立派な庭園に感心して褒美として五千石加増、一躍大名に列した。
伏見奉行所の庭園は遠州公にとって出世の糸口でもあった。

Imh_7669a

   Imh_7671a

廊下を渡って向こうの部屋から

Imh_7681a

Imh_7682a

Imh_7679a

庭園の手水鉢には、文明九年(1477)の銘があり在銘のものとしては非常に珍しいらしい。また、後水尾上皇が命名された『ところがらの藤』も移植、その由来碑も建てている。(以上は貰った栞より)

 Imh_7685a

 Imh_7691a

「京都を楽しんだなあ~」と思った方はクリックしてくださいね。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

Imh_7676a

Imh_7677b

| | コメント (2)

2006/10/16

京のわんことにゃんこ(秋冬編)

Img_2393a_1

昨日に続き京都で見かけたわんちゃん、にゃんちゃんです。
京都でも野良猫の避妊手術を行うボランティア活動が行われており、たくさん野良猫が集まる場所では既に手術を受けた印がある猫を見かけます。
そんな猫ちゃんを見ると、皆に守られているのだなあと安心します。

雪の日の法然院 
わんちゃんモデルです。ちゃんとお座りして飼い主のOKが出るまで動かないお利巧さんです。可愛いなあ~♪

Img_2396a_1

後姿もいいゾ。

Img_2397a_1

南禅寺 ここでもお利巧さんにしています。

Img_2249a_1

落柿舎の前です。

Imh_6652a_1

嵯峨野

Dsc10948a

吉田山にて

Dsc12776a_1

吉田山

Dsc13065a

哲学の道

Dsc14198a

Dsc13008a

知恩寺の手作り市にて 買って貰うのかな?

Dsc31128a_2

雪の日の三千院の「あんずちゃん」ぬくぬくです。

Dsc15561a

「お手」は左右出来ますよ。ほらねッ。

Dsc15565a Dsc15566a

化野 念仏寺あたり

Dsc11945a

雪の日のひなたぼっこ。

Img_2645a

Img_2646a_1 等持院近くのお寺

金臺寺です。

わんちゃん

暖かい?


金戒光明寺

Dsc04775a

総見院 (大徳寺塔頭)
本物じゃないですよ、何の為に置かれているのでしょうね。

Dsc12301a

明日17日夕刻~19日夕刻までの2日間ココログのメンテナンスがあります。
明日の昼過ぎにも記事の投稿をしますので宜しく。

ブログを更新する励みになりますので、是非クリックして応援してくださいね。

---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---    
  こちらは絶対によろしく にほんブログ村 旅行ブログへこちらも是非ともよろしく☆
---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---

ラ・ヴァチュール

Dsc25457a

| | コメント (6)

2006/10/15

京のわんことにゃんこ(春夏編)

Img_8223c

今日と明日は京都を歩いていて見かけた犬と猫をお届けします。
撮影場所の説明だけです。犬や猫が嫌いな方はゴメンナサイ。
「正伝寺」の「お迎えワンちゃん」、賢そうなニャンちゃんの後でスリッパをくわえて振り回して怒られていました。

Dsc27756a_3 Dsc27750a_1 

桜満開の賀茂川で

Dsc05922a

御所(京都御苑)

Dsc17579a

御所(京都御苑)

Dsc0a009a_1

御所(京都御苑)
京都を歩く時はいつもニャンちゃん用にえさを持って行きます。

Dsc26376a

大田神社

Dsc07348a

大覚寺 大沢の池

Dsc29654a

三千院 参道でお馴染みの「あんずちゃん」です。

Dsc30145a

京都市役所

Img_8729a

哲学の道 大豊神社への橋

Dsc26484a 

吉田山 竹中稲荷神社

Dsc27989a

大将軍神社(三条通り)

Img_8530a

柳の白川

Img_7699a_1

伏見稲荷大社

   Dsc06982a

嵯峨野竹林

   Dsc26708a

賀茂川 半木の道(なからぎのみち)

Img_8396a

賀茂川 上賀茂あたり

Dsc29031a_2

賀茂川(葵橋あたり)

Img_8079a_1

賀茂川

Dsc27803a

ブログを開いただけではカウントされません。1日1回限り有効クリックです。
気に入った写真や記事があったら是非是非クリックで励まして下さいね。

-------------------------------------------------------------
 京都のワン・ニャン・可愛いなあと思われたらクリックお願いね 
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

銀閣寺道 (置物です)

Img_9362a

| | コメント (10)

2006/10/14

河合神社と鴨長明

Imh_8598a

下鴨神社参道を入ったところを左に折れると河合神社があります。
杜の中、塀に囲まれたとても落ち着くところです。

「方丈記」の著者、鴨長明はこの河合神社の神官の家に生まれたが、いろいろの事情によって、この重職を継ぐことができなかった。
このことから強い厭世感を抱くようになり、『方丈記』を書くにいたったといわれている。

末社には任部社(とべしゃ)とよび八咫烏(やたのからす)をまつるお社があり、昭和六年(1931)日本サッカー協会設立時より、現在のJリーグにいたるまで、御祭神の姿をシンボルマークとしている。
糺の森にある「第一蹴の地」の碑です。

Imh_8644a Dsc23624a_1

朱の鳥居の間に門があります。

Imh_8647a

Imh_8633a

Imh_8650a

Imh_8624a

10月13日、紅葉にはまだまだのようです。

Imh_8675a

Imh_8635a

貴布禰(きふね)神社

Imh_8602a
m

Imh_8659a Imh_8605a

六社

Imh_8601a

方丈(復元)

Imh_8669b Imh_8670a

Imh_8651a

Dsc12702a

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

下鴨神社の銀杏の木、色付いて来ています。

Imh_8510a

| | コメント (4)

2006/10/13

下鴨神社と糺の森

Imh_8515a

今日は光悦寺の向かい側の「岩戸妙見宮 圓成寺」のつもりだったのですが、またまた気分転換で「下鴨神社」を久しぶりに。

「下鴨神社」 正式名称は・賀茂御祖神社 (かもみおやじんじゃ) 
太古、この地を占有していた賀茂氏が創祀したわが国最古の神社の一つである。
祭神として、賀茂建角身命と玉依姫命を祀る。玉依姫命は賀茂氏の祖神賀茂建角身命の子で、瀬見の小川(賀茂川)の川上から流れてきた丹塗り(にぬり)のによって身ごもり、別雷神を生んだという。賀茂御祖神と呼ぶのはこのためである。
平安遷都(794)後は王城の守護神としてあがめられ、賀茂斎院、行幸式日、参篭御幸、関白賀茂詣、式年遷宮等の制度も設けられ、中世には山城国一ノ宮と呼ばれて、崇敬をあつめた。(以上駒札)

Imh_8417a 公式サイトはこちら

Imh_8415a

今日は今までになかった角度から。

Imh_8506a

カテゴリーは「●8 下鴨神社だより」です。

Imh_8455a

実はこれらの写真はカメラの設定違いの為失敗作なのです。(夫のカメラ)
なにぶんにもアバウトな私は「シャッター押せば上手に撮れるさ」。
夜用の設定だったなんて知りませんでした。

Imh_8501a

今日の晴天の屋外の写真は何となくキメが粗いようで・・・「干支の神社」はまたこんど撮り直しに行きます。

Imh_8496a

「糺の森」は、約12万平方メートル(約3万6千坪)で古代山城北部が森林地帯であった頃の植生と同じ生態が保たれている貴重な森林であり、国の史跡に指定。
社殿は、文久3年(1863)再建の国宝の本殿二棟と重要文化財の殿舎五十三棟などがあり、平成6年(1994)世界文化遺産に登録された。
毎年5月15日、都大路に王朝絵巻を繰広げる葵祭は有名である。行列が当神社に到着すると「社頭の儀」が行なわれる。
また、流鏑馬、御蔭祭など数々の伝統神事が行なわれている。

Imh_8408a Imh_8404a_2

Imh_8414a

「糺の森」は薄暗いので、これでもいいかな?

Imh_8571a

Imh_8573a

Imh_8579a

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

Imh_8500a

| | コメント (8)

2006/10/12

光悦寺

Imh_8190e

光悦寺 
京の北、鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見渡す景勝の地に位置する。
大虚山(たいきょざん)と号する日蓮宗の寺である。
元和元年(1615)徳川家康によりこの地を与えられた本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が、一族、工匠等と移り住み、芸術郷を築いたところである。
光悦は、刀剣鑑定のほか、書、陶芸、絵画、蒔絵などにも優れ、芸術指導者としても活躍した。当寺は、本阿弥家の位牌(いはい)堂を光悦没後に、本法寺(ほんぽうじ)の日慈(にちじ)上人を開山に請じて寺に改めたものである。北区鷹峯光悦町ここです。

紅葉の参道です

Imh_8161a

紅葉はまだ続きます。

Imh_8164a

Imh_8267a

Imh_8173a

三巴亭
光悦翁は茶道に於いても一流儀に偏することなく、古田織部や織田有楽斎にも教えを受け、千宗旦とも深く交わり茶道の奥義を極めた。

Imh_8178a

Imh_8182b

有名な「光悦垣」 (臥牛垣)です。

Imh_8238a 

Imh_8193a

三巴亭、了寂軒、本阿弥庵、騎牛庵など七つの茶亭と本堂があります。

Imh_8210a   

残念ながら、あそこへは行けませんでした。

Imh_8216b

帰り道

Imh_8251a 

収蔵庫
書道は、寛永の三筆と称され近衛信尹、松花堂昭乗と共に名筆といわれ、優れた遺品がある。(松花堂昭乗ゆかりの松花堂についてはこのブログをどうぞ)

Imh_8256a

-------------------------------------------------------------
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

鐘楼の空

Imh_8263a

| | コメント (8)

2006/10/11

源光庵 悟りの窓

Imh_8029a

曹洞宗 源光庵
丸窓は「悟りの窓」と呼ばれ、円型は「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現。
角窓は「迷いの窓」と呼ばれ、角型に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表している。いずれも仏教の真理を表わしている。

双方の正面からだと丸窓には建物が見えてしまいます。

Imh_8028a

工事がやっと終わり、今年の秋は燃える紅い紅葉が見えることでしょう。

      Imh_8019a_1

鷹峰山(ようほうざん)と号する曹洞宗の寺である。
貞和2年(1346)大徳寺の徹翁義享(てつとうぎこう)によって創建され、当初臨済宗に属していたが、元禄7年(1694)加賀国(石川県)大乗寺の卍山道白(まんざんどうはく)が再興し、曹洞宗に改められた。
道白は、当時の曹洞宗の改革に努め、自ら復古道人と称した。
本堂には、本尊釈迦牟尼仏及び霊芝観世音像を祀る。
廊下の天井は、鳥居元忠が自刃した時の伏見城の遺構と伝え、俗に「血天井」と呼ばれている。

Imh_8091b

Imh_8044a

Imh_8031b 

     Imh_8064a_1

Imh_8070a 

Imh_8103a

血天井です。

Imh_8071a_1 Imh_8060a

Imh_7986a_1

Imh_7994a_1

Imh_7999a_2

Imh_8003a

Imh_8012a_1

Imh_8006a_1

先に中に入ってしまいましたが、入り口から。

Imh_7964a_2

あ~
蛍光灯がぁ~

Imh_7967a_1

「開ぱん」です。

Imh_8127a_1

境内の「稚児井戸」は、創建の頃、水に窮した徹翁が、童子に教えられて得たもので、いかなる旱にも涸れたことがないといわれ、現在も清水が湧き出ている。

Imh_8144a_1

Imh_7979a_1

Imh_7982a

JRのポスターが飾ってありました。紅葉の「悟りの窓」です。

でもこちらのブログを見てくださいね、紅葉が綺麗な時に行ったものです。

Imh_8084a

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

秋の空の下、紅葉まではあと一ヶ月半くらいかな?

Imh_8145a

| | コメント (20)

2006/10/10

鷹峯 常照寺

Imh_7812a

吉野太夫ゆかりの 鷹峯の常照寺(たかがみね・じょうしょうじ)
元和2年(1616)本阿弥光悦の土地寄進を受け、寛永4年(1627)その子光瑳の発願により日蓮宗総本山身延山久遠寺第21世寂照院日乾上人(じゃくしょういんにちけんしょうにん)を招じて開創された山城六壇林(やましろろくだんりん)の一偉観「鷹峰壇林」の旧跡である。
境内には本堂を中心に開山堂、鬼子母尊神堂、常富堂(つねみどう)、衆みょう堂(書院)、梅樹庵(庫裡)などがある。
また吉野太夫の墓所や吉野窓を設えた茶席遺芳庵(いほうあん)、聚楽亭や全国でも唯一の帯塚(おびづか)などがある。
毎年4月第3日曜日には吉野太夫を偲ぶため「吉野太夫花供養」が行われ、太夫道中や供茶法要、茶会などが催され全国各地からの参詣者で賑わう。場所はここです。

吉野門(赤門)、上の写真も。
朱塗りの山門は、寛永三名妓天下随一の太夫と謳われた二代目の吉野太夫(灰屋紹益(はいやじょうえき)の妻)が寄進したものである。

Imh_7813a_1

Imh_7815a

本堂 

Imh_7945b

華やかです。

Imh_7826a_1 

庭園に入ります。

Imh_7856a

ほととぎす、白いのもあるのですね。

Imh_7863b_2 Imh_7861b_2  

北西(いぬい)の方に、三体の鬼子母尊神像と、十羅刹女をまつる鬼子母尊神堂がある。鬼子母尊神はもともと子供を殺して食べる悪鬼だったが、仏の教えを聞いて懺悔し、改心して後、子育て、子授けの神様、信仰するものを守護する神様になった。

Imh_7878a Imh_7875a_1

ma

ma

ma

Imh_7885a

Imh_7869a

聚楽亭 遺芳庵

Imh_7894a Imh_7916a 

Imh_7898b

吉野太夫のお墓 開山廟(けやきの扉に珍しい五七の桐が彫刻されている)

Imh_7919a Imh_7924a_1

書院へ

Imh_7927a

Imh_7839a

Imh_7829a_1

Imh_7834a_2

蔵の財より 身の財すぐれたり 身の財より 心の財 第一なり

Imh_7821a Imh_7947a

常照寺、源光庵、光悦寺・・・すぐ近くです。徐々に紹介します。
紅葉の頃は、さぞ見事。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

帯塚の前にて

Imh_7946a_1

| | コメント (2)

王城鎮護の剣神社 夕焼け空

Imh_5249a

泉涌寺の近くにある剣神社です。
京都に都ができたとき、王城鎮護のために巽(東南)方角に宝剣を埋めたのが、起源だと伝えられているそうです。。

Imh_5260a

剣神社につきましては、「・・・つれづれ編」で詳しく書いています。
   こちらを御覧下さい。

Imh_5261a

可愛い絵馬につい目が行きました。

「とびうお」の絵馬が多いですね。宝剣がとびうおなのでしょうか?
「羽ばたいて飛べ」・・・親心ですね。

Imh_5264a

        ------------------------------------

ここでちょっと夕焼け雲。淡いピンクが優しくて・・・

Imh_6090b

神社、お寺が続いて・・・ちょっと私が疲れ気味なところもあって・・・

Imh_6066b

夕焼け雲は希望が湧きますね。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

西の空・・・明日は元気に。

Imh_6077b

| | コメント (8)

2006/10/09

今熊野観音寺 紅葉の頃にもう一度

Imh_5359b

泉涌寺(せんにゅうじ)に行く前に訪れました。だから9月の半ば過ぎです。木々はもう少し色付いていると思います。

今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ) 東山区泉涌寺山内町 場所はここです。
泉涌寺の塔頭で、正しくは新那智山今熊野観音寺という。
西国三十三箇所観音霊場第15番目の札所になっている。
空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが当寺のはじめというが、斉衡(さいこう)年間(854~857)左大臣藤原緒嗣(おつぐ)が伽藍を造営したとも伝える。
文暦元年(1234)後堀河上皇を当寺に葬るなど、歴朝の崇敬を得て栄えた。
伽藍は応仁の兵火で焼失したが、その後、復興されて現在に至っている。本堂には空海作と伝える十一面観音像を安置する。
寺域は幽静で、郭公(かっこう)鳥の名所として名高く、本堂背後の墓地には慈円僧正・藤原忠通・同長家の墓と称せられる見事な石造宝塔3基がある。(以上駒札)
※ここのカテゴリーは 「●14 泉涌寺 界隈」です

枕カバーは頭痛封じなのですね。右に赤い医聖堂が見えます。

Imh_5301a
 

Imh_5300a

Imh_5303a

朱印帖に書いてもらう人が並ばれています。

Imh_5311a_2

「観音寺巡り」、「札所巡り」、「七福神巡り」などがツアー会社で催されています。

Imh_5310a 

大師堂と平安時代の三重の石塔

Imh_5314a_1 Imh_5307a

五智の井は弘法大師の錫杖で湧き出したといわれる五智水。

Imh_5309b Imh_5302a

頭痛封じ、ぼけ封じのお寺でもあります。願を掛けて奉納です。

Imh_5317a

稲荷社と熊野権現社

Imh_5318a

Imh_5315a

山の上の医聖堂に到るまでの参道に、西国三十三ヶ所霊場の本尊を石仏としたお宮が第一番より第三十三番まで続いています。

Imh_5324a

ひとつひとつ、ゆっくりお参りしながら・・・。

Imh_5329a

医聖堂へ。

Imh_5339b

鐘楼。 紅葉の頃にはもう一度来たいなあ。

Imh_5355a

昨日は私一人で『京都文化祭典2006』の「京・華舞台・・フォークコンサート・京の旅人」に行って来ました。(円山公園・音楽堂) 京都出身の杉田二郎 ばんばひろふみ そして南こうせつ イルカ 加奈崎秀太郎 ソニン ビリケン 旅人 出演です。
「当日券」を求めて11時半に並び、3時半開演で終演が7時半。
フィナーレの「戦争を知らない子供達」と「あの素晴しい愛をもう一度」は最大の盛り上がりをもって会場総立ちで歌いました。
夫ですか? 「ひかりプレミアム」の導入日なので家で色々頑張ってもらいました。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

東山から見た京都タワーと左には京都駅ビルです。

Imh_5230a

| | コメント (8)

2006/10/08

華厳禅寺は鈴虫寺

Imh_7073a

「鈴虫寺」の名前で知られる、妙徳山・華厳寺(みょうとくざんけごんじ)
松尾大社から歩いて10-15分くらいの所にあります。
秋だけでなく、一年中鈴虫の音色が聞こえる境内です。

Imh_7126a

そろそろ4時です、少し辺鄙な場所のお寺だから人はいないだろうな~と思って入りました。(近くの有名な苔寺が今は一般拝観出来ませんし)

Imh_7117a

それが何と、通された「鈴虫」のいるお堂は5ー60人の人でギッシリ。
じっくりお話を聞く余裕の無い私達は、誰もいない庭に出ました。

Imh_7101a

そんなには広くないお庭でしたが、手入れが行き届いており、自然が凝縮されているようでした。

Imh_7062a 

Imh_7060a

Imh_7049a

Imh_7070a_1

Imh_7057a

写真をいっぱい撮って戻ってくると、ちょうどお話が終わったよう。

Imh_7071a

お話を聞いておられた全員が細い道の庭園を一周して、最後に門を出たところの「幸福地蔵」さんにお願い事を・・・長~い行列になりました。

Imh_7094a

若い人々が必死に願い事をしており、こちらの方がお目当てだったようです。

Imh_7107a

4時半の閉門時間も近いのに、拝観の入り口には大勢の人が並んでいました。

Imh_7119a

何も予備知識の無いまま、もっとひっそりとしたお寺を想像していましたが、鈴虫寺は観光名所になっていました。

Imh_7069c

時間が無いので、お坊さんの有難いお話も聞かず、鈴虫も見ずに、お庭を一周して出てきました。その後、帰り道で見かけて初めて訪れたところは、300円も払ったことが恥かしくて紹介できません。それは、苔寺バス停の角にあります。

Imh_7120a

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

参道下の門前の茶店

Imh_7125a_1

| | コメント (8)

2006/10/07

松尾大社 Ⅱ 永遠のモダンの庭

Imh_6974a

松尾大社の「松風苑」は、昭和50年(1975)に昭和を代表する作庭家、重森三玲(しげもりみれい)の設計によって作庭されたもので、彼の絶作でもある。
三庭からなり用いられた200余個の石は徳島県吉野川の青石(緑泥片岩)です。

重森三玲(1896-1975)の代表作は「東福寺」方丈庭園、開山堂庭園、東福寺塔頭の霊雲院、芬陀院、龍吟庵、光明院。大徳寺塔頭の瑞峯院。松尾大社庭園。
重森三玲邸を訪ねたブログ「モダン山水の庭」はこちら(写真追加)。 (シャープのCM・アクオスで有名になりました) 重森三玲、及び重森三玲邸に付いてはこちら

「曲水の庭」(平安風)
松尾大社の最も栄えた平安期を表現、お手洗川の清水は七曲がりして丘麓を洗い、丘上には青石が点在してこれを見下ろす。
曲水の水、サツキ、洲浜の緑泥片岩など単純な構成ながらも配色にこだわっている。

Imh_6842a

Imh_6840b

Imh_6847b 

Imh_6846b

Imh_6849a

   「即興の庭」(当初なかった空間に即興で作った庭)

   Imh_6850a_1

Imh_6854b 

「上古の庭」
松尾山中の「磐座」(日本庭園の原初形態で、御神体とした石)に因んで作られたもので、神を表徴する巨石を囲む岩石郡は森厳味溢れ、地上一面に植えられた丹波笹は高山の趣を表す。

Imh_6857a

「蓬莱の庭」(鎌倉風) TOPの写真も。
曲水の庭、上古の庭からは離れ楼門横の茶店の裏にあります。
蓬莱の島とは昔、中国の人が東海中に不老不死の島があると考えた島です。
岩の間から噴出する水が鶴形の池に注ぐところ、多くの島が点在し、周囲を回遊しながら眺めると仙境に遊ぶ感がするという 池泉庭園。
(三玲が池の形を支持し、その後長男の完途が遺志を継いで完成させた)

Imh_6935b_1

Imh_6971b

Imh_6976a Imh_6964a

池の中にも

亀がいます。

Imh_6946a

Imh_6953b

Imh_6967b

私の感じたことは、
周囲の建物による圧迫感もあり、庭園が少し狭いと感じました。
建物が木造ではなく、鉄筋コンクリート造であることが理由かも知れません。
巨石が固められているのは当然ですが、洲浜も小石がコンクリートで固められており 今まで見てきた庭園とは全く違うものです。
私の感覚は過去の庭園の概念に囚われていて、これが「モダン庭園」なのかも知れません。

これだけ多くの石の強さに感激いたしました。丁度前を行くグループの方を率いておられたのが三玲さんのお弟子さんのようで、当時の石を運ぶ苦労をされておりました。

Imh_6881a_1

曲水の庭、磐座の庭を回った最後に霊亀の滝、亀の井があります、猪の罠も。

Imh_6874a_1 Imh_6877a

Imh_6988a_1

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

昨夜は中秋の名月、雲の間から僅かに見えたお月様。
つきづきに つき見るつきは多けれど つき見るつきは このつきの 月

Imh_7780c 

| | コメント (8)

2006/10/06

松尾大社 Ⅰ 境内

Imh_6751a

松尾大社 
社殿の背後の松尾山を含む約12万坪が境内。松尾大社ホームページ
大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の二神を祀る。
大宝元年(701)秦忌寸都理(はたのいみきとり)が、松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請し、当地に社殿を建立したのが起りと伝え、平安時代には皇城鎮護の神として、また中世以降は醸造の神として人々の信仰を集めている。
宝物としては、等身大の男神坐像二体、女神坐像一体(ともに重要文化財)を有する。
西京区嵐山宮町 (以上駒札) 場所はここです。

Imh_6778a

Imh_6784a

神輿庫 酒樽がいっぱい。

Imh_6789a

Imh_6806a Imh_6817a

本殿(重要文化財)は、「松尾造り」と呼ばれる珍しい建築で、天文11年(1542)に改築されたものである 

Imh_6797a

拝殿

Imh_6829a

南末社

Imh_6809a

Imh_6825a

社務所裏のお手洗川に「霊亀の滝」があり「亀の井」という霊泉を酒造家は酒の元水としている。

Imh_6876a Imh_6888b

Imh_6907a

一ノ井川の山吹

Imh_6901a

4月に行われる松尾祭は、桂川で神輿の船渡御があります。その舟です。

Imh_6993a_1 Imh_6756a_1  

松尾大社はお酒の神様だけあって、資料館があります。

Imh_6743a_1 Imh_6762a

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

明日は重森三玲作の庭園ですが、茶店の窓に広がる「蓬莱の庭」で予告編。

Imh_6773b

   Imh_6770a_1

| | コメント (10)

2006/10/05

桂川 松尾橋あたり

Imh_6715a

「桂川」(かつらがわ)は京都府を流れる淀川水系の一級河川。流路延長107km。
京都市左京区と南丹市(旧美山町)との境の佐々里峠に源を発します。

嵐山で京都盆地に出て南に流れ→伏見区で鴨川を併せて→大阪府との境で木津川、宇治川と合流し→「淀川」となります。地図です。

京北町流域では「上桂川」(かみかつらがわ)→園部町に入ると「桂川」→亀岡市に入ると「大堰川」(おおいがわ)→亀岡市から嵐山あたりまでは「保津川」(ほづがわ)などと名を変え、嵐山から合流地点は再び「桂川」と称される。

四条通を真っ直ぐ西へ、ここは「松尾橋」です。桂川をもう少し下れば桂離宮です。 

Imh_6709b

大文字送り火の「鳥居形」が良く見えます。

Imh_6707a

北?北西?方面どっち向いているんだか?

Imh_6716a

左の方のコブのある山が愛宕山です。

Imh_6721b_1

Imh_6706a

鴨川に比べて河原が広々です。 水遊び

Imh_6726a

昼寝

Imh_6713a

バーベキューもしてましたよ。

Imh_6728a

明日のブログはあの朱色の鳥居、「松尾大社」です。

Imh_6719b_1 

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

上流の嵐山の渡月橋あたりの紅葉の頃、あと一ヶ月半くらいでしょうか。

Dsc13805a

幻想的な写真がありました。

Dsc13796c

| | コメント (11)

2006/10/04

石清水八幡宮・エジソン記念碑

Imh_7519a

「石清水八幡宮」はただ今、平成の大修理中です。
貞観元年(859)の創建で応神天皇・神巧皇后・比咩大神をまつる。武家の守護神として源氏の信仰が厚く、その分社は全国に及ぶ。
現社殿は寛永11年(1634)三代将軍徳川家光の造営によるもので、八幡造の本殿、幣殿、舞殿などからなり、国の重要文化財。

すっかり雨に煙っています。

Imh_7564a

今修理中の本殿です。

Imh_7521a

平成の大修理は平成21年まで続きます。

Imh_7518a

「徒然草 第52段」で仁和寺の法師が山麓にある「高良神社」を石清水八幡宮と思い込んで帰ってしまったと云う。

Imh_7522a

Imh_7523a

Imh_7525c

少し垣間見える中には・・・本殿のみずがきや廻廊・幣殿は彩色を施した動植物の見事な彫刻で飾られている。

    Imh_7551b_1 

ここにも古さが

Imh_7533b

京都のボーイスカウトは神社が母体のところが多いです。この日入隊式でした。

   Imh_7542d_1

本殿修理中のため、裏に回って宮社を入れます。
住吉社(中央)

Imh_7547a

気比社(左) 水若宮社(右)

Imh_7537a

Imh_7531b

一周して帰り、楼門から参道を見ました。

Imh_7527a

Imh_7555b

Imh_7562a

石清水八幡宮のすぐ横にある「エジソン記念碑」です。

右は・・「The memory of Thomas Alva Edison 1947-1931」

左にはあの有名な言葉が刻まれています。
「Genius is one percent inspiration and ninety nine percent perspiration」
     (天才は1%のひらめきと、99%の汗のたまもの)

Imh_7573b   

「エジソンの電球発明」と「八幡の竹」の関係については↓を拡大して下さいね。

Imh_7563a Imh_7574a

ボーイスカウトの敬礼の先には大きなモニュメント。

Imh_7512a Imh_7513a

京阪八幡駅から男山山頂へ、山頂の展望台からは桂川、宇治川、木津川、の三川、
大山崎、天王山、宇治まで見渡せます。(雨の為今回は行きませんでした)
山頂は桜の名所、有名な背割堤の桜並木も近く 春には必ずもう一度来なくては。

石清水八幡宮のホームページです。 八幡市のホームページです。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

一日降り続いた雨もほとんど止み、見上げると木々の葉が少し色づいていました。

Imh_7569a

| | コメント (6)

2006/10/03

松花堂 庭園と松花堂弁当

Imh_7487b

先日の日曜日は京都府南部の八幡市方面へ。雨なのに行って来ました。
第一の目的地は時代劇でお馴染みの「流れ橋」。それから、徒然草に出てくる「仁和寺の法師」で知られる「石清水八幡宮」。伏見の「城南宮」へも寄り道。
「城南宮」→「松花堂にて松花堂弁当」→「石清水八幡宮」→「流れ橋」これが予定。

今日は「松花堂」です。
江戸初期、寛永文化の中心的文化人の松花堂昭乗(1582~1639)ゆかりの「松花堂庭園」。
広大な庭園は「草庵茶室・松花堂」等の文化財を有し、3つの茶席もあって茶会・茶事が楽しめます。露地庭や枯山水で構成され、梅花・椿花・桜花・若葉・新緑・紅葉など四季を通じて楽しめ、美術館もあります。

Imh_7414a_1

Imh_7403a_1

Imh_7399a_1

八幡(やわた)は竹の里です。エジソンが電球を発明した時、フィラメントに八幡の「竹」を使用したとかで記念碑も立っています(後日紹介します)
竹、竹、竹。あらゆる「竹垣」が適所に配置されており。「水琴窟」、「ししおどし」「つくばい」も趣があります。

雨の日の水琴窟は賑やかな音色が響き渡りますよ。

Imh_7420a_1

Imh_7475a_1

Imh_7446a_1

光悦寺垣

Imh_7427a_1

他にも竹垣がいろいろ。

Imh_7455a_1 Imh_7460a_1

Imh_7468a_3  Imh_7473a_1

茶室・梅隠

Imh_7453a

茶室・松隠

Imh_7445a

広いですよ。

Imh_7459a

Imh_7463b Imh_7471a

「草庵茶室・松花堂」は撮影禁止のために入り口の門だけです。
古くて立派なお庭と茶室でした。(TOPの写真も)

Imh_7490b

竹の種類も豊富。女郎花(おみなえし)の塚、東車塚古墳などもありました。

Imh_7441a Imh_7500a

「松花堂弁当」発祥の地ということで、「松花堂弁当」をお昼にと思って直前に車の中から予約しました。あの有名な「吉兆」・(松花堂店)でした。ワクワクしますねえ。

Imh_7379a Imh_7359b

Imh_7363a

昼過ぎなのに雨の日は「酔芙蓉」の色の変化が乏しいようでした。
大乗寺で買って帰って地植えにした方の実家の酔芙蓉は大きくなって花数、花びらの多さ、大きさ共見事でした。

Imh_7376a

Imh_7498a

八幡市のホームページです。八幡市の場所はここです。
「松花堂」の詳しいことはここです。京阪「樟葉(くずは)駅」からバスで10分。

「城南宮」、「松花堂」で時間をとってしまって残念ながら「流れ橋」にはたどり着けず。またの機会ということで。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

Imh_7370a

| | コメント (8)

2006/10/02

京都の夜を歩く

Dsc14441b 

上は河原町御池の噴水、キレイです。
「頑張ってなんかいないんだヨッ」って強がってブログをひょうひょうと作っている風にしたいんだけれど・・・実はすごーく頑張って作っています。
土日、祭日には「今日も行くぞー」と、夫の張り切りに引きずられてウロウロ。日没が早くなって帰りは暗くなる事も。たくさ~ん貯まっていますが・・・フー。
今日は時々帰りに少し撮ってる四条通、河原町通の夜の風景を集めて。

まだ明るさの残る円山公園からです。長楽館です。

Imh_5111a_1

八坂神社 楼門から四条通を見下ろしました。

   Imh_5165a_1

「祇園街」も夜のとばりがおりました。

Img_9857a

四条京阪の「南座」を通って、

Imh_7174a_1

「鴨川の床」も9月30日で終りました。(最終日でした)

Imh_7163a_2

四条大橋から北山方向

Img_9874a

「先斗町」(ぽんとちょう)入り口

Img_9019a

Img_9007a

四条河原町「阪急百貨店」。

Imh_7158a_1

四条河原町交差点からの西側の風景です。

Imh_7156b

「新京極」の入り口です。

Img_0609a

新京極の一本西の通りの「寺町京極」

Img_9896a

四条から河原町通りを上がって行きます。
河原町三条、「三条通」への入り口が見えます、「不二家」はもうありません。
「丸善」は「カラオケ」になってしまいました。いっぱいあった「書店」は全滅状態。
「駸々堂書店」「京都宝塚劇場(映画館)」は取り壊して今工事中です。
すっかり河原町通りの店舗は変わりました。

Imh_6025b

「朝日会館」向かい辺りから河原町通を南に見ました。

Imh_6033a

  Imh_7149a

絶対に私はぶっ倒れないと思われているようです・・・クリックで「紅葉の京都」が無事お届け出来るように応援してくださいね。

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

今出川大橋、「たね源」の横の河原です。(出町の三角州の賀茂川側)

Imh_6684a

| | コメント (15)

2006/10/01

嵯峨野 二尊院 Ⅱ

Imh_6378b

二尊院
「百人一首」で名高い小倉山の東麓にあって、本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため、二尊院と呼びますが正しくは「小倉山二尊教院華台寺」といい、明治以降天台宗に属しております。
嵯峨天皇(在位809~823)の勅願により慈覚大師が承和年間(834~847)に開山したと言われております。
明治維新まで天皇の名代として勅使参詣があり、御所の全ての仏事を司り公家方との交流も盛んでした。
応仁の乱(1467~1477)によって諸堂が全焼しましたが、現本堂、唐門(勅使門、上の写真)は約30年後に再建されました。
また「総門」(昨日のブログ)は豪商 角倉了以が、伏見城の「薬医門」を移築したもので、参道は「紅葉の馬場」といわれ秋には紅葉が美しいところです。(以上パンフより)

本堂唐門「小倉山」の勅額(後柏原天皇)、「二尊院」の勅額(後奈良天皇)は、このとき下賜されたものです。

Imh_6414a_2 Imh_6412a

本堂

Imh_6499a

庭園を見せていただきます。

Imh_6419a

Imh_6432a

Imh_6411a

もう少し左に振っておいてくれたら・・・
釈迦如来と阿弥陀如来の二尊様が拝めたのに。

Imh_6408a

Imh_6415a

本堂から境内

Imh_6392a

九頭龍弁財天

Imh_6438a

「しあわせの鐘」です。どうぞ撞いて下さい。

Imh_6441a

階段を上がって行くと

Imh_6443b

左は法然上人廟

Imh_6449a_1 Imh_6462a

先日亡くなられた田村高広さんのお墓にお参りしてきました。

    Imh_6469a_2

Imh_6478a

今年の百日紅(さるすべり)、見事に咲いているのをあまり見なかった。

Imh_6496a

少し良いことをした気分。合掌。

Imh_6539a

-------------------------------------------------------------
 ブログランキングに参加しています。クリックして応援してくださいね  
   よろしく♪    にほんブログ村 旅行ブログへこちらもよろしく☆
-------------------------------------------------------------

「開運だるま」 4個になってます。1個私が買いました。赤がとても鮮やか。

Imh_6433a

| | コメント (4)

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »