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2006/11/24

寺田屋 坂本龍馬の宿

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京都伏見の寺田屋は大阪と京都間の通船「三十石船」の京都側の発着地の一つの南浜に「寺田屋浜」という船着場を持つ大きな船宿であった。

寺田屋前を流れる濠川です。

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寺田屋に入っていきます。 場所はここです。

現在旅館として改造されており 宿泊できます。(TEL 075-622-0243)

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表札は・・・。

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順路に従って二階へ。

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寺田屋騒動の折、斬り合いになり急進派九名の志士が犠牲になりました。床の間に掛けてあるのは後に寺田屋の隣に建てられた「薩摩九烈士記念碑」の拓本です。

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「梅の間」龍馬の部屋に入ります。慶応二年龍馬が捕方に襲われた部屋です。

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掛け軸の坂本龍馬・・・幕末の風雲急を告げ薩長連合に東奔西走する龍馬の身を案じた女将のお登勢が嫌がる龍馬に奨めて街の画家に描かせた遭難直前の絵像です。円山公園の銅像のモデルとなりました。

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この時は負傷しながらも脱出に成功し薩摩藩に保護されたと伝えられています。

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湯に入っていた龍馬の愛人お龍が捕方に気付き裸のまま駆け上がった階段です。上から見下ろしました。

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下の「刀痕」(龍馬の部屋入り口)はその時のものではないと書いてあったような。見学者が撫でるからどれが刀痕か分らない。階段を見上げると。

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その時の湯船(?)フラッシュたけば良かったのですが・・・。

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一階に下りてきて。向こうに見える部屋が女主人「お登勢の部屋」、
手前は「寺田屋騒動」の起こった部屋です。

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寺田屋騒動・・文久二年の薩摩藩士の上意討事件のときの斬り合いが起こった部屋。

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何か分りませんが写真に撮りました。・・・そんなのばかり。

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外に出てみました。右、寺田屋騒動記念碑

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歴史の場に立つということは・・・やはり少し興奮します。
今日は写真を入れ過ぎましたが、紅葉が押し寄せてきましたから一回でまとめました。

追記:2008年9月25日 (京都新聞電子版)
「寺田屋」は鳥羽伏見の戦いで焼失  京都市が公表 展示改善を要請   
幕末当時の建物でないことが判明した寺田屋(京都市伏見区・寺田屋)
 幕末の「寺田屋騒動」などの舞台として伏見観光の人気スポットとなっている京都市伏見区南浜町の旅館「寺田屋」について、市は25日、「(建物は)1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失した」として幕末から残る建物ではないとの調査結果を公表した。  現在の寺田屋では柱の刀傷や弾痕などを1862年の寺田屋騒動で残った実物として展示しているが、当時の建物ではないとの一部報道があり、市が今月に入って調べていた。
 市歴史資料館が、書物や石碑など9つの資料を点検した。鳥羽伏見の戦いがあった1868年1月27日直後に出たかわら版の地図で焼失範囲に寺田屋が含まれており、1906年に記された「寺田屋伊助申立書」にも戦いで焼失したとの文言があった。  現在の寺田屋東側に立つ薩摩藩士の顕彰碑(1894年建立)にも、壊された建築物を意味する「遺址(いし)」の言葉が刻まれている。
 同館では「以前から当時の建物ではないと言われていたが、あらためて一つずつ資料を点検した結果、焼失したことが確認された」としている。
 市は寺田屋に対して展示の改善を要請し、市観光協会などには各観光施設で展示に誤解を与えないよう周知することを求める文書を送った。
 寺田屋は「あくまで市の見解であり、今までの旅館の取り組みがすべて否定されるものではない」と反論しているが、今後については「明確で分かりやすい展示を考えたい」としている。
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龍馬通り商店街です。

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2 伏見」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。

寺田屋の直ぐ近くに友人の家があり、一時期前をよく行き来していました。

龍馬が襲われた時の血飛沫のついた屏風を、元々遠縁の親戚が
所蔵していたとかで、子供の頃寄贈先の博物館に見学に連れて
行ってもらった記憶があります。

投稿: 京都出身の伊丹市民 | 2006/11/25 08:02

★京都出身の伊丹市民さん こんにちは♪
私も寺田屋の近くの友達がいて 月に一回はあの辺りで会うのですが寺田屋に入ったのは学生時代以来です。
血飛沫の屏風は色紙くらいの写真が飾ってありました。

投稿: りせ | 2006/11/25 17:41

 りせさん こんばんは(^^)
ここは坂本龍馬の聖地みたいもので、ファンが絶える事なく訪れていますね
ここに比べて、「池田屋騒動」の跡地は・・・
やはり歴史的に貴重な場所は残して欲しいと思います(-"-)
 京都は歴史的な建物、季節の景色等、本当に魅力いっぱいですね(^^)
本当に羨ましいです・・・
 明日、ゆーちゃんが旅立ちます(T_T)
ので、明日はコメント入れられないと思いますが、心配しないでくださいね^^;
 明日は何処に行くのでしょうか?

投稿: きこ | 2006/11/26 02:28

★きこさん お早うございます♪
池田屋騒動の跡地へは行った事がないのでどんなんでしょうか。「寺田屋」は寺田屋で何かとややこしい問題がありそうなのです。だからちょっと・・・複雑系です。

京都をまわっていると、「何でもある」って感じで「さすが京都!、歴史の壮大さと文化の奥の深さ」を感じます。京都に生まれ住んでいますが、「伝統ある京都」とは住んでる地域も職業も係わりがなくて。これってスゴク自由でしがらみが無く、私自身が新京都発見で歩いています。
新しく環境を守る規制の条例が出来るらしいですが、「遅い、遅すぎ」なんですよ。まだまだ生ぬるいと思いますよ。
淋しくなりますね。でもいっときだからね。

投稿: りせ | 2006/11/26 09:42

懐かしく見てました。
私は竜馬ファンで友達と京都旅行した時に
わざわざ寄ってもらったんです。
次の大原とかも懐かしいです。
このシーズンになるとテレビのあちこちで京都の紅葉は
取り上げられて、いつも行きたくなります。
本当に写真がきれいでプロの方みたいです。
頑張って下さい。

投稿: のら | 2006/11/26 15:48

★のらさん こんばんは♪

京都旅行を想い出していただけましたか☆
やはりここは詳しい会話をされながら見ておられる方が多くて、皆さん龍馬ファンと云う感じでした。

有り難うございます~☆ 写真綺麗ですか~♪
スゴ~ク励みになります。誉めてくださって有り難うございます★

投稿: りせ | 2006/11/27 01:01

寺田屋、同じ区にあるのに行ったことが無いんです、、。
わたしって、ほんと行動半径狭くって。
でも、大きな画像で見せてもらえて
感じがつかめました。
前を流れる濠川、この区内にはめずらしく
風情があって、のんびり出来そう♪

投稿: koharu | 2006/11/28 00:14

★koharuさん こんばんは♪
私も何度も何度も寺田屋の前を通っていますが、2度目です。
一階はゴチャゴチャしてました。二階は古い旅館って感じと歴史の重みで不思議なところでした。
前の十石舟の柳の小道が良いですね。絶対に歩いて下さいよ。

投稿: りせ | 2006/11/28 01:19

りせさん、こんばんは(^^)
池田屋の跡は、悲しい事にパチンコ屋になっています(-"-)
パチンコ屋の横に看板があって・・・
ちょうど三条小橋から河原町三条に向かって歩いていくとありますよ・・・
これも京都の現実なので、一度行って見てくださいね

投稿: きこ | 2006/11/30 03:06

★きこさん お疲れさま♪
市内は「○○遭難の碑」と彫られた石碑があちこちに建っていますが池田屋の跡は、パチンコ屋になっていましたか。
維新の志士の「○○遭難の碑を巡る」・・・なんてサイトもきっとあるでしょうね。池田屋の跡の碑、探してみます。

投稿: りせ | 2006/11/30 11:23

ざんねんですね。嘘だったとは。

投稿: うそですよ | 2008/09/26 14:46

寺田屋の件、なんかゆーてるらしい事は母がテレビで見たかどうかで耳にはしてましたが、この夏中バタバタしてたから忘れてました。
なるほど〜。(-_-;)幕末ファンにはショックかも。
そういえば10年ほど前に行ったとき、ご主人は飾ってある赤富士の絵についても原画だと自慢してましたが…私は「どっちでもいい」派ですねぇ。

まあ“見せ物”にしてるとまではいいませんが、あちこちにある血天井同様、時間が経ってるからとはいえ、大量斬殺事件の現場を“商業的に活用”することを思えばレプリカでむしろホッとしたような?
(チョークでたくさん折り重なる人の形を描いた事件当夜の寺田屋を連想してしまうんですよ)

実は私、鴨川に掛かる橋を渡るたびに居並ぶカポーを見ては、ふと秀吉がやった秀次の妻子たちの処刑場所はどのへんやったかなとか、けっこう要らんこと考えてしまうんですよね…アホでしょう?

投稿: よろづ屋TOM | 2008/09/26 18:37

★うそですよさん こんばんは♪
駒札にも寺田屋騒動址って書いてあるし、、、修学旅行生も多く見かけたし・・・残念ですね。

投稿: りせ | 2008/09/26 22:34

★よろづ屋TOMさん こんばんは♪
伏見の酒蔵や柳の濠川端を何度も歩いているのに「寺田屋」には入る気がしなかったのは、何かお金の事でもめているって聞いてたように思うのですが。
歴史の証人のような建物なのに今も旅館営業って凄いなあって思ってました。
血天井ですが、私は昔はグロテスクで悪趣味じゃないかって思ってたのです。でも「こうして沢山の方々が御参りくださって手を合わせて頂く事で供養になります」という言葉を聞いてから手を合わせて冥福を祈っています。
京都は街中全部が戦いの場。三条河原だけじゃなく、いたるところに屍が・・・というところ。だからへっちゃらです。
上御霊神社が怨霊を鎮める為の神社であったり、京都の夏祭の多くは御霊会で上御霊神社の祭礼が発祥だということは・・・キャー。。京都中が怨霊だらけですかぁ~~。

投稿: りせ | 2008/09/26 23:17

怨霊はともかくも、過去に戦い敗れたり巻き添えで命を落とした人たちのために祈る事は大切だと思っています。
私は東大阪ですが、生まれ育った場所は太平記にも登場し、大坂冬・夏の陣の戦場近く、また職場は京橋ですので毎日どっかで意識してますね。
そう考えるとほんとに近畿は太古から日本の首都だったのでわやくちゃ。
かつて上岡龍太郎氏が「これだけ人が死にまくってる土地に住んでいて未だに幽霊見た事がない。せやから信じへん」っておっしゃてたことを思い出しました。

投稿: よろづ屋TOM | 2008/09/27 23:12

★よろづ屋TOMさん こんばんは♪
おぉ~怖い話になりました。私は至って恐がりなので・・・。歴史には疎い私で、、、疎いから恐いもの知らずなのでしょうか。(これは意外と安全策ですね)
伏見の人は「この辺りは鳥羽伏見の戦いの地だから・・・」っておっしゃいますし。
そうですか・・・上岡氏が言っておられましたか、私もそう思います。

投稿: りせ | 2008/09/28 21:37

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