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2007/02/12

猫寺と池大雅の墓所

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通称「猫寺」といわれている「称念寺」です。
 本空山(ほんくうざん)と号し、浄土宗知恩院派に属する。
慶長11年(1606)茨城県土浦城主松平伊豆守信吉が師僧嶽誉(がくよ)上人のために建立した寺で、上人は同宗捨世(しゃせい)派の祖・称念上人を開山とし寺号を称念寺と定め、自らを中興開基(ちゅうこうかいき)とした。
当時に葬られた松平信吉の母が徳川家康の異父妹であったので寺紋を徳川家定紋、三ッ葉葵とした。
 寺伝によれば、三代目住職の頃、松平家と疎遠となり寺は荒廃していたが、ある夜、帰宅した住職は、愛猫が美姫に化身して舞うのを見て怒り、これを追放した。数日後、猫が住職の夢枕に立ち松平家との復縁を告げ、住職に報恩し、寺は立派に再興した。
 以後、寺では猫の霊を厚く守護し、本堂前の老松は猫を偲んで植えたものである。このことから称念寺はいつしか「猫寺」と呼ばれるようになったという。
 なお、本尊お内仏来迎仏阿弥陀(ないぶつらいこうぶつあみだ)像は平安中期の高僧恵心僧都(えしんそうず)の作といわれる。上京区寺ノ内浄福寺西入上る西熊町

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地図は浄光寺の下を中心にしています。

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老松

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猫の子一匹いませんでした。

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猫ちゃんは見かけませんねえ。

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今まで名前だけは知っていて一度訪れてみたいと思っていた「猫寺」は、町中でよく見られるような普通のお寺でした。

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「浄光寺」 池大雅のお墓
浄土宗浄光寺の境内墓地に、江戸時代文人画の大家の池大雅の墓がある。墓は碑面に「故東山画隠大雅池君墓」と二行に記し、側面に淡海竺常(たんかいじくじょう)の撰文になる銘文を刻んでいる。

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大雅は享保8年(1723)京都生まれ。
姓は池野氏、名は無名、大雅、玉海などと号した。
若くより絵を志し、柳里恭(りゅうりきょう)や祇園南海に学んだほか、中国の画論や画譜を通じて独学で南画を研究した。また禅を修行し、日本全国を旅行した。
こうして生まれつきの超俗的な性格と相まって、むぞうさな画法で人物や風景を詩的に表現する独自の文人画を大成した。
 代表作に黄檗(おうばく)山万福寺の約30面のふすま画などがある。30才の頃、祇園町の娘、町と結婚し洛東真葛ヶ原に草庵を建てて住んだ。
 妻町も玉瀾(ぎょくらん)と号する画家として有名。夫妻とも、数々の奇行が伝えられている。安永5年(1776)大雅は54才で歿し遺言により当寺に葬られた。上京区寺ノ内通千本東入新猪熊町 (以上駒札より)

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■散策・35 西陣 他市中の寺院」カテゴリの記事

コメント

猫寺ですか?
猫好きとしては、いつか是非行ってみたいですね。
猫寺の最後の方の写真にペットボトルに水が入っているようでしたが、ひょっとして猫除けか・・・??? 

水を張った桶に入った大き目のラディッシュが鮮やかで美味しそう。 


投稿: fmk | 2007/02/12 10:32

★fmkさん こんにちは♪
書いた以上のことは書けません。ご理解、ご判断くださいますようにお願いいたします。
小さなラディッシュというより赤カブだと思います。大きかったし、お漬物屋さんの店頭でしたので。
いつもコメント有り難うございます。

投稿: りせ | 2007/02/13 09:43

この記事へのコメントは終了しました。

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