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2007年2月の記事

2007/02/28

ぽかぽか日和

      毎日更新の「京都を歩くアルバム」はこちらに移転しています。 

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     春のようなぽかぽか日和。(2月20日)
     今年は「底冷え」も「比良八講荒れ終い」もこの分じゃ無く
     春を迎えるのでしょうか?

     梅の花が綺麗だと言うことで
     東山七条の「智積院」(ちしゃくいん)に出かけました。
     上の写真は私の母です。 
     下はこちらも何となくのんびりのカラスです。

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     水仙も咲いていて

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     こんにゃく料理(母には量が多過ぎ)の有名な茶寮「ききょう」で
     おそばをいただきました。

     そして昨日、2月27日。
     春を通り越した暖かさ、「JR桃山駅」の桜は満開になっていました。

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今年の桜は早いとは聞いていましたが・・・あっと言う間に花見の時期ですよ。
駅の桜です。間違いなく「さ・く・ら」でしょ。

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2007/02/25

寺院のプライド

      毎日更新の「京都を歩くアルバム」はこちらに移転しています。  

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普通は「拝観謝絶」と書かれていることが多く、何とも冷たく淋しいものを感じます。

このお寺は直ぐ近くに有名拝観寺院のあるところです。

「拝観寺院ではありません」・・何となく寺院のプライドを感じました。

そしてもう一枚、庭園への入り口の扉に・・・。(撮影:2006年10月29日)

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広々とした境内、小ぶりの銀閣寺かと見紛う仏殿に茶室等々。荒れ果てていましたが、手入れされれば有名拝観寺院に劣らない見事さでした。
写真をいっぱい撮らせて頂きましたが記事にはしていません。

もしかしたら、言葉とは逆に・・・
寺院、庭園が立派に甦ることを密かに願って、開放してくださっているのかしら・・・とも思っております。また時期を違えてここを訪れてみたいと思います。

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京都散策で見かけたちょっとしたことを記事にして行きます。

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2007/02/23

舞妓体験・ニセ舞妓さん

      毎日更新の「京都を歩くアルバム」はこちらに移転しています。  

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     芸妓さん、後姿が粋ですね。

     ちょっとこちらを向いてくださいな。アッ外人さんです。似合ってますね。

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4-5年前からでしょうか、ニセ舞妓さんが観光地でウロウロし始めたのは。

初めの頃は「本物と間違われては・・・」とか、やれ「歩き方がどうの・・身のこなしがどうの・・着物が安っぽい・・ニセモノ許すまじ」と物議をかもしたものですが。
近頃はどう見ても本物とは程遠いですから「観光客は楽しそう」と優しい目で見られているようです。 

ここが「ニセ舞妓さん」製作現場です。

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      彼女らが現れる先々で、人だかりが出来ます。

     観光客の中には「本物」と思っている方もまだまだおられます。
          必ず撮影スタッフが付いています。友人も一緒でゾロゾロです。

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     こちらも可愛い外人さん。

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伏見稲荷大社にて。ここまで歩くには遠いですよ。(多分東福寺あたりから)

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南禅寺にて。先ず着物で直ぐにニセと判ります。他にも・・・以下自粛。

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私は芸妓さんの格好をしてみたいけど、小じわに「おしろい」がめり込んで・・以下略。

近頃は着物ブームで「着物でウォーキング」が流行っているようです。着物を着ていると色々特典がありますから。こちらも着付けのお店があります。

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こちらは正真正銘の本物「舞妓さん」です。
そりゃあ着物と帯が素晴しい!!見とれます。それに堂々とした歩き方。
一緒に付いておられるのは「男衆さん」(おとこしさん)。

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2007/02/21

つれづれ日記

      毎日更新の「京都を歩くアルバム」はこちらに移転しています。  

こちらは「つれづれ編」として、今日から新出発です。

「京都を歩くアルバム」を作りながら・・・いつもジレンマを感じていました。
個人がセッセと毎日発信のブログなのに・・・「私自身」が出せないのです。
「こんなこと書いちゃダメだろうな」ってほとんど写真だけで作ってきました。

今日からこちらのブログは京都を歩き回って「つれづれなるままに感じたこと」を書いてみます。・・・・たまに書き込みします。宜しく。

■今日はどうも私には理解不可能な若い人のことです。

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女性誌、京都観光誌などに、「縁結びのお寺・神社」の広告が載っているらしく、「何でこんなに人が多いの?」とビックリする事があります。

私なんて・・(私の年代は多分そうだと思いますが)、「皆と一緒」「本気の神頼み」「ツアーバスで開運・縁結び」なんて考えられない。
写真の人達が「開運・縁結びツアー」かどうかは知りませんが(内容は多分そうだと)、大型観光バスで来ておられたようです。
住職のお話を揃って聞いた後、庭園をサッと一回りして、「お願い」を全員が順番でされていました。一団体が終わった頃には次の団体がやって来ました、皆若い人。
若い人のお寺巡りは、友人同士や恋人たちが、ノンビリ、和やかに廻るものだと思っていましたから何と主体性、想像力のぉ無・・・・以下自粛。
と、思うこの頃です。「ツアー」って色々ありますね。
そうそう、男・女のグループがお互いに写真を撮りあってましたから。正に「縁結び」には違いがありませんが。

※ここも引き続きクリック宜しくお願いいたしますm(_ _)m。

◆「人気blogランキングのカテゴリー」を近々「国内旅行」に変更します。
同じカテゴリーではややこしそうで・・・自分のブログがライバルって言うのも、何だしなあぁ・・ということです。
「旅行ブログ」も変えたいのですが、カテゴリーに適当なのが無いのです。

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2007/02/18

お引越ししました

写真を5500枚も載せ、写真拡大させると容量が一杯になってきました。

新しいブログに引っ越ししました。

今日からは「新・京都を歩くアルバム」を更新して行きます。

このブログは「つれづれ編」として継続しますので引き続き見てください。

右バナーの写真集の「京都アルバム」が途中ですので完成のつもり。

記事へのコメントは、ここでお返事させていただきます。

ランキング継続中です、クリックしていただければ嬉しいですm(_ _)m。

                   *

新しいブログの入り口は左サイドバーにあります。

新・旧「京都を歩くアルバム」双方共これからも どうぞ宜しくm(_ _)m。

■当ブログの写真の無断持ち出しは一切禁止させていただきます。
大切な写真です。使用されたい方はメールにてお申し出ください。

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2007/02/17

東山一望のホテル10階からの眺望

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お待たせしました。今日は東山一望のホテルの10階のレストランからお届けします。「ホテル・サンルート京都」。場所はここです。
鴨川をはさんで正面には清水寺。北は比叡山から南の桃山城まで見渡せます。

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窓の左端の比叡山方面から。
一番低い山は「吉田山」で、塔がいくつか見えます。赤い鳥居は勿論平安神宮の大鳥居。その左奥の大きな屋根が黒谷の光明寺。手前には南座の屋根が見えます。

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少し右に振ると大文字山が斜めに見えます。窓ガラスに写ったクレーンや白い建物が重なって映って目障りですが。右の山際の大きな屋根は知恩院。

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画面は少し重複しますが、知恩院から円山公園あたり。右の山の灰色の部分は東大谷墓地。手前中心には「建仁寺」の大きな屋根が。
鴨川沿いの川端通りには車が並びます。

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霊山観音 (りょうぜんかんのん)。右に八坂の塔。

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霊山観音は東山のランドマークのよう。

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八坂の塔、意外に背高のっぽ。

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清水寺が正面に。

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これは綺麗だ。

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右に・・・智積院、泉涌寺(せんにゅうじ)の方向。

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ぐっと右に振って東福寺から伏見稲荷大社へ。東山三十六峰は稲荷山でお終い。遠くの山の上に「伏見桃山城」が霞んで見えます。

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足元には鴨川、鳥が飛び交います。

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いかがでした。春、新緑、紅葉、雪景色・・・見てみたい。

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10階のレストラン「VIALE」で景色を眺めながら1800円のランチをいただきました。

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2007/02/15

南禅寺

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新しいブロブにメドがついたところで、今日は「南禅寺」を紹介します。

南禅寺   公式サイトです。
 臨済宗南禅寺派の大本山で、正応4年(1291)亀山法皇の離宮の地を賜わり、無関普門(むかんふもん)(大明国師)規庵祖円(きあんそえん)(南院国師)によって創建された。以来歴朝の勅願所として、また、中世五山制度が行なわれると「五山之上(ござんのじょう)」という最高位に列せられ天下の尊崇を得て今日に及んでいる。
 勅使門、三門は重要文化財に、大方丈(清凉殿)小方丈は国宝に指定され、内部の襖絵の多くは重要文化財に指定されている。方丈前庭は小堀遠州作「虎の子渡し」といい代表的な枯山水庭園として有名である。左京区南禅寺福地町(駒札より)

南禅寺は三門の向こう、突き当たりにあります。

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滝の間 庭を見ながらここでお茶をいただけます。

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左は外の境内にある法堂の天井の竜。     右は杉戸絵の竜です。

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大方丈の庭園です。

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大方丈の庭園は「虎の子渡しの庭」と呼ばれる。六個の石の配置。

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2年以上も前になると、庭園の名前も覚えていませんしパンフも無いので。

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次に行った時に良く見て補充します。

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暫く、お休みしてましたのに大勢の方がこのブログを訪ねて下さって有り難うございます。

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やはり水路閣も一枚。

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2007/02/14

女性で賑わう

ただ今、ブログの引越し準備中です。暫くは公開予定の中から1枚です。

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今日は女性で賑わう神社です。

詳しくは新しいブログで紹介します。

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2007/02/13

絶景・・・東山一望

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ただ今、新・京都を歩くアルバムの制作に勤しんでおります。
私の能力以上のことが要求されているようで一進一退状態で前に進みません。
こんなに多くの写真を入れるのだったら、「最初から容量無制限を探せば良かった」と後悔しきりです。
それでも4-5日後に整えて新しい「京都を歩くアルバム」公開の予定です。
カテゴリーを変えております。別の面から京都を楽しんでいただけるかと思います。

こちらのブログをいつも通り更新していましたら、、、これも困ったことに。
・・・で、新ブログが形を整えるまで「予告編」のように短い記事を入れます。

皆様これからも「京都を歩くアルバム」を宜しくお願いいたします。

「そうだ!、ここで言っておかなくては!、私を男と思ってられる方がまだおられるとか」
ハンドルネーム「りせ」と申します。

今日の景色は、東山三十六峰を見渡せる絶景のレストランです。
以前に絵の友人に連れて行ってもらった所で、是非ブログで紹介したかったところです。
新ブログではタップリ写真を載せる予定ですのでお楽しみに。

新しいブログも引き続き宜しくお願いいたします。

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2007/02/12

猫寺と池大雅の墓所

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通称「猫寺」といわれている「称念寺」です。
 本空山(ほんくうざん)と号し、浄土宗知恩院派に属する。
慶長11年(1606)茨城県土浦城主松平伊豆守信吉が師僧嶽誉(がくよ)上人のために建立した寺で、上人は同宗捨世(しゃせい)派の祖・称念上人を開山とし寺号を称念寺と定め、自らを中興開基(ちゅうこうかいき)とした。
当時に葬られた松平信吉の母が徳川家康の異父妹であったので寺紋を徳川家定紋、三ッ葉葵とした。
 寺伝によれば、三代目住職の頃、松平家と疎遠となり寺は荒廃していたが、ある夜、帰宅した住職は、愛猫が美姫に化身して舞うのを見て怒り、これを追放した。数日後、猫が住職の夢枕に立ち松平家との復縁を告げ、住職に報恩し、寺は立派に再興した。
 以後、寺では猫の霊を厚く守護し、本堂前の老松は猫を偲んで植えたものである。このことから称念寺はいつしか「猫寺」と呼ばれるようになったという。
 なお、本尊お内仏来迎仏阿弥陀(ないぶつらいこうぶつあみだ)像は平安中期の高僧恵心僧都(えしんそうず)の作といわれる。上京区寺ノ内浄福寺西入上る西熊町

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地図は浄光寺の下を中心にしています。

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老松

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猫の子一匹いませんでした。

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猫ちゃんは見かけませんねえ。

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今まで名前だけは知っていて一度訪れてみたいと思っていた「猫寺」は、町中でよく見られるような普通のお寺でした。

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「浄光寺」 池大雅のお墓
浄土宗浄光寺の境内墓地に、江戸時代文人画の大家の池大雅の墓がある。墓は碑面に「故東山画隠大雅池君墓」と二行に記し、側面に淡海竺常(たんかいじくじょう)の撰文になる銘文を刻んでいる。

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大雅は享保8年(1723)京都生まれ。
姓は池野氏、名は無名、大雅、玉海などと号した。
若くより絵を志し、柳里恭(りゅうりきょう)や祇園南海に学んだほか、中国の画論や画譜を通じて独学で南画を研究した。また禅を修行し、日本全国を旅行した。
こうして生まれつきの超俗的な性格と相まって、むぞうさな画法で人物や風景を詩的に表現する独自の文人画を大成した。
 代表作に黄檗(おうばく)山万福寺の約30面のふすま画などがある。30才の頃、祇園町の娘、町と結婚し洛東真葛ヶ原に草庵を建てて住んだ。
 妻町も玉瀾(ぎょくらん)と号する画家として有名。夫妻とも、数々の奇行が伝えられている。安永5年(1776)大雅は54才で歿し遺言により当寺に葬られた。上京区寺ノ内通千本東入新猪熊町 (以上駒札より)

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2007/02/11

千本ゑんま堂(引接寺)

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千本ゑんま堂(引接寺) 説明は「Wikipedia」を載せています。
引接寺(いんじょうじ)は、京都市上京区にある高野山真言宗に属する寺である。正式な寺名よりも、通称の千本閻魔堂(せんぼん えんまどう)の方で知られている。
現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁(802年 - 853年)を開基とする。開山は源信の弟弟子の定覚。 ゑんま堂の公式サイトです。

安土桃山時代、京都に来た宣教師ルイス・フロイスの『日本史』(Historia de Iapan)中に、本寺の境内の様子が記されている。

1964年に後継者不足が原因で狂言が途絶える。1974年、不審火によって本堂・狂言堂が焼け、狂言衣装も焼失する。
しかし、翌年には千本えんま堂狂言保存会が結成され、本堂は一般の寄進を募って修復が進められ、狂言堂も仮建築ながら再建されて、以前の西陣講中を中心としたメンバーから一般から募集したメンバーも含めた編成に推移し、復活した狂言が毎年続けられる。

名前だけは良く知っていたし、節分の狂言もその日のニュースの定番だから知っていましたが、着いた時「???ここがゑんま堂ですか?」という感じでした。火災があったのですね。節分会前の1月27日、船岡山に続いて訪れました。

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本堂

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敷地内には消防分団」がありました。ゑんま様が睨みを利かせていらっしゃいます。

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本堂に入ります。

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閻魔王坐像(伝・定朝作)を本尊とし、脇侍を左に司命、右に司録を安置している。下に写真が貼ってありました。
「六道珍皇寺」にも大きな閻魔王坐像があります。六道珍皇寺の記事です

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子供の頃「人間は死んだら閻魔様の前に連れて行かれて善人は極楽へ悪人は地獄へ落とされるんだよ」っと聞かされたものです。

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人頭幢(にんずどう)  写真の説明を読んでみます。
死後35日目に亡者が前世の裁きを受ける「閻魔之廳」。裁判官の閻魔法王は十王の中でも格別で最高の力を持っています。
脇侍の倶生神「司命尊」は亡者の前世の全てが記載された「閻魔帳」を持っており、閻魔様の左右には「浄玻璃(じょうはり)の鏡」と「人頭幢」が据えられています。
 「浄玻璃の鏡」は閻魔様の思うままに亡者の前世における善行、悪行をなんでも写し出し罪人は言い逃れが出来ません。
 「人頭幢」は亡者をみて、心を見抜き閻魔様に知らせています。杖の上に載っている二つの頭は俗に、「見る目」「嗅ぐ鼻」といって罪人の悪行を見つけたり嗅ぎつけたりする役をこなします。
 閻魔様の前では「嘘も方便」は通用せず、今世も死後も妄言は慎まなくてはならないということを教えています。

「人頭幢」は1本で赤鬼の顔とお多福さんのような優しい顔が前後になっているボールペン(だったかな?)です。
・・・けれど「ゑんま様のお目こぼし」とは・・・宝前に供えられた御餅をかき餅にしたあられです。

1386年(至徳3年)の銘を持つ十重石塔(重要文化財)があり、紫式部の供養塔とされている。

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倒壊の恐れとは・・・。         童観音

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水子供養などもあってか、可愛いお地蔵様とか伝説に出てくるような竜の噴水がありました。

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梅の花もちらほら。

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鐘付き堂

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今京都は「冬の特別寺院公開」をしていますが、「全部撮影禁止」のところが多いらしく、手荷物を預けなくてはいけない所もあるらしいのです。
全く行く気が起こりません。以前に撮った写真が貴重になってきたかも。
夫は「毎日定時の更新を皆が待っている」っていうのです。いつも私は元気なので少々のことでは倒れないと思われています。(お蔭で1年間毎日の更新が出来ましたが)。気の向いたいたときだけ係わってくる厄介な外野です。

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2007/02/10

千本釈迦堂 (大報恩寺)

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千本釈迦堂   大報恩寺(だいほうおんじ)
瑞応(ずいおう)山と号する真言宗智山派の寺院で、千本釈迦堂の名で知られている。
承久3年(1221)義空上人が、藤原光隆の臣、岸高より寄進を受けたこの地に、小堂を建て一仏十弟子像を安置したのが当寺の起りといわれている。

毎年、2月にはお亀福節分会、5月には花供養、7月には陶器供養、8月には精霊迎え、12月には大根焚きなど多彩な行事が営まれ、多くの人々で賑わう。上京区五辻通六軒町西入溝前町

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当初、倶舎、天台、真言の三宗の霊場として、堂塔迦藍も整い、壮麗を極めたが、応仁の乱をはじめ、度々の災火のため堂宇を消失してしまった。
現在唯一残る本堂(釈迦堂)は、本市に現存する最古の仏堂遺構で、国宝に指定されている。
堂内には、行快作の本尊釈迦如来坐像及び、快慶作の木造十大弟子立像をはじめ、銅像誕生釈迦仏立像、六観音菩薩像、千手観音立像などを安置している。

本堂の前には「阿亀桜(おかめざくら)」が。

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見事な枝垂桜、阿亀桜(おかめざくら)

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京都市に現存する最古の仏堂遺構で国宝の本堂(釈迦堂)

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おかめさん 悲しい伝説があります。     布袋尊

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サッサと行っちゃいました。

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いつものお気に入りの場所かな。

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そろそろ新ブログに切り替えなくては・・・。
切り替えた時に「一からの出発」では淋しいので、一応の体裁を整える為に頑張っています。
こんどのは、またちょっと形を変えて京都を楽しんでいただくように作っています。

公開は2月末を予定しています。

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2007/02/09

釘抜き地蔵

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石像寺 (しゃくぞうじ)釘抜地蔵 
正しくは家隆山光明遍照院(かりゅうざんこうみょうへんしょういん)石像寺と写し、俗に「釘抜地蔵」ともいう。
弘法大使の開基と伝え、もと真言宗であったが、重源(ちょうげん)上人が中興してから浄土宗となった。
むかし、歌人の藤原定家(ていか)、家隆(いえたか)が住んだところという。
大きな釘抜きがお迎えです。

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地蔵堂に安置する石造地蔵菩薩(ぼさつ)立像は弘法大使の作と伝え、もろもろの苦しみを抜き取るという親交から苦抜(くぬき)地蔵といい、それがなまって釘抜地蔵といわれる。
本堂には行基(ぎょうき)の作と伝える観世音菩薩もあわせてまつっている。

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境内墓地には藤原定家、家隆の墓と伝えるものや、弘法大使三井(さんせい)の一つという加持水(かじすい)がある。上京区千本上立売上る花華町 場所はここ

釘抜き絵馬がグルッと地蔵堂を囲んでいます。

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苦抜きが「釘抜き」へ。日本は語呂合わせの文化ですね。

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境内には様々なお地蔵様、明王様・・・

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地蔵堂背後の阿弥陀三尊像(立像一、座像二、重要文化財)は、鎌倉初期の傑作で、中尊の阿弥陀如来像は高さ約一、二メートル、元仁元年(1224)伊勢権守(いせごんのかみ)、佐伯朝臣為家(さえきあそんためいえ)によって彫られ、翌年、開眼(かいげん)供養した銘がある。(説明は駒札より)

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「新・京都迷宮案内」を見ていたら、懐かしい言葉を聞きました。
「おやかましさんどした」(やかましいことでした)。帰るときの挨拶の一つですが、このごろ使うことはありませんねえ。

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これだけ赤い提灯が並ぶと圧巻。

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2007/02/08

嵯峨野・竹林を行く

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昨日の記事の野々宮神社の手前を左に折れて竹林の道を歩いてみましょうか。
過去に何枚かは入れていますが、未公開を入れておきます。

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こちらの道は行き止まり・・というか天龍寺の敷地に続く道。

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竹林の中ってとっても不思議な気分になります。

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この辺りを歩いています。地図の中心は野々宮神社を後にした竹林の道。
中心を移動させたり、縮図を変えて見てください。

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ライトアップは何とも楽しい。

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大河内山荘の近くでいつも入荘時間ぎりぎりになってしまって。
春の花が咲き乱れている頃に行って来ます。

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道は右に折れて・・・トロッコ列車の駅を下に見ながら。

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小倉池に出ました。ほとりには御髪神社(みかみじんじゃ)が立っています。
日本で唯一の髪の神社で、理容、美容、洗髪剤、カツラ等に関する業の始祖とされているようです。

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小倉池

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嵯峨野巡りは変化に富んでいて見どころが一杯です。

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アイトワから。

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カテゴリー・・・「嵐山、嵯峨野」と「松尾大社あたり」に分割しました。

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落柿舎の近くにやって来ました。

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2007/02/07

嵯峨野 野宮神社

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また気が付きました。あの野宮神社がたった3枚の写真だけで終わっていました。
「野宮神社」(ののみやじんじゃ)と書くのが正式らしいのですが、読みにくいし、道しるべには「野々宮神社」になっています。天龍寺の前の道を少し上がると左に野々宮神社に向かう横道があります。竹林の中を歩くと・・・。

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トップの写真は野宮神社の「黒木鳥居と小柴垣」です。
黒木鳥居はクヌギの木の皮を剥かないまま使用する、日本最古の鳥居の様式です。
小柴垣はクロモジの木を用います。 天皇陛下の御即位式で建てられる「大嘗祭」も黒木鳥居と小柴垣で囲まれます。
平安の風情を現在に伝え、「源氏物語」、「謡曲野宮」でも有名。
「えんむすびの神様」、「子宝安産」の神様として全国から崇敬を集めています。

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野宮神社 公式サイトです。場所はここです。
野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。
斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。
その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。 (以上公式サイトより)

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野宮神社はいつも若い人で賑わっています。野々宮神社

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斎王といえば「葵祭り」です。斎王代はこちらの記事をどうぞ。

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「じゅうたん苔」です。

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時々カテゴリーを見直しています。「蓮花寺」を「■散策21 蓮華寺・詩仙・・・」に変更しました。ページの量を考慮してです。

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嵐電の嵐山駅前です。

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2007/02/06

天龍寺 塔頭・弘源寺

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嵐山でも雪が積もっているだろうと期待して出かけた2日の金曜日。雪どころか桜と梅の花に迎えられました。
天龍寺の塔頭「弘源寺」です。公式サイトです。

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左下の石は「臥牛石」。

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大きな木です。

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鬼瓦に花が似合ってる。

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特別公開があるようです、その時に庭園など拝観させていただきます。

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こちらは梅。

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ここで天龍寺・境内と塔頭(たっちゅう)の配置について。

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節分祭の準備も整っていました。来年は行って見ようか。

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2007/02/05

吉田神社 節分祭 夜店いろいろ

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追儺式の行われた本宮から吉田山の参道を山の方へ、日本全国の八百万の神をお祀りする「大元宮」へ行きます。
ここへも山道の参道に夜店が並んでいます。昼間の吉田神社、吉田山。

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厄塚

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昔の国の名前を全部ご存知ですか?京都は3つに分かれています。拡大してね。

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厄塚を囲んでグルッと全国の神様が。

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方相氏                       拡大してみました。

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夜店をいろいろ。懐かしいものから新しいものまで。 先ず節分といえば「いわし」

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子供の頃から同じ店。

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フルーツをチョコでコーティング。

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輪投げ、店番はおばあちゃま。

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外国からの夜店。3軒見かけました。この頃どこの神社でも見かけます。

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夕飯は吉田神社の節分祭で充分です。

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紹介しきれないほどたくさんお店は出ています。

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2007/02/04

吉田神社 節分祭

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2日の節分祭は吉田神社に行って来ました。公式サイトです。
節分祭の日は、吉田神社行きの臨時の市バスが出たりして大変な賑わいです。
東大路からの参道に隙間なく屋台が立ち並んでいます。

平安朝の初期より毎年宮中にて執行されていたものを、古式に則って伝承 継承されており、古の趣を現在に伝える数少ない神事の一つだそうです。

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年越し福そば、いつも同じ場所。

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吉田神社への階段には灯りが灯って。

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階段の途中から今歩いてきた参道を見下ろすと、ずっと出店が並んでいます。

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「抽選券付き福豆」です。

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景品は液晶テレビ、羽毛布団ほか豪華です。

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「鬼やらい」と俗にいわれる追儺式が午後6時から行われるのですが、ちょっと遅刻してしまいました。これは昨年の写真です。まず黄金四つ目の仮面を被った「方相氏」

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赤、青、緑、黄色の鬼さん。観衆と一体です。

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ここからは今年です。
古い御札はここへ持って来てください。燃やして供養していただけます。

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年越しそばはここも昔からお馴染み。

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菓祖神社で豆茶とお菓子の接待があります。

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明日は日本全国の八百万神(やおよろずのかみ)が祀られている「大元宮」と、参道の屋台の数々をお届けします。

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2007/02/03

嵐山渡月橋 ゆりかもめ乱舞

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2日の朝、少し雪が積もっていて・・・雪が降ったら即どこかへ行こうと思っていました。
昼前でも嵐山ならは雪景色が見れるかと思って出かけたら・・・ぜーんぜん!、雪の痕跡すらありません。
パンをたくさん持って来て、鳥に餌をやっておられるおじさんの横でお話しながら撮影させていただきました。

この時期渡月橋を渡る人は少ないです。

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法輪寺の多宝塔が見えます。

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鳩に混じってユリカモメの姿も。水の中に首を突っ込んでいるのは鴨ですね。

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鳥たちが集まっています。

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おじいさんがパンを投げると、集まってきたユリカモメ。空中でキャッチする鳥も。

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渡月橋の中央は昨年末の事故のための工事中です。

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遠くにユリカモメが羽根を休めています。こんにちは。

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取り囲まれてヒチコックの映画「鳥」状態でした。

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片足のユリカモメ。おじいさんはよくご存知、「ほら、来たよ」って教えていただきました。

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片足君・・・一番高いね。

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こういう景色って春が近いなあと感じます。

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渡月橋からユリカモメのいる方向。

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北の山の方では雪雲が。あの辺りは降っているのですね。

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寒い日は人力車が良いですね。

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渡月橋って長いです。橋の長さは155メートルあります。
平安の初期に亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る」と感想を洩らしたことから「渡月橋」と呼ばれるようになりました。

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2007/02/02

船岡山 平安京・北の基点

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船岡山  場所はここです。
標高112メートル、東西200メートル、南北100メートルの孤立丘陵、平安京朱雀大路の北の延長線上に位置する。

頂上から眺望よく京の町、特に西陣一帯が見渡せる景勝地。
中世には要衝として戦場となり、応仁の乱(1467-1477)で西陣の山名宗全が城塞を築いて東軍の細川勝元を迎え撃った。その後も山をめぐって争奪戦が展開された。豊臣秀吉は、この山を大徳寺に寄進した。1931年(昭和6)、都市計画により山一帯を船岡山公園とした。
平安京への遷都にあたっては四神の玄武(北方の守護神)になぞらえられ,造都の基準点となったとも言われる。(駒札より)

船岡妙見神社の下から船岡公園に向かいます。

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2枚に分けています、拡大して読んでくださいね。

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船岡山 頂上三等三角点。

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色々ネット検索していたら「磐座(いわくら)」なるものが出てきました。
要約して書くには奥が深そうなのでこのサイト様を御覧下さい。
船岡山が巨岩だらけな訳が。

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磐座も子供達にとってはロックガーデン。

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昨日の「建勲神社」で船岡妙見社の駒札に
「船岡妙見社は船岡山の地の神で、玄武(げんぶ)大神を祀る」とあります。

四神(しじん)・・・キトラ古墳や高松塚古墳の壁画に描かれている四神です。
中国・朝鮮・日本において、天の四方を司ると信じられてきた神獣のことで。
平安京に当てはめると。
東・春:青龍(せいりゅう) ・・・川が流れている・・・賀茂川
西・秋:白虎(びゃっこ) ・・・・・大きな道がある・・・・山陽山陰道
南・夏:朱雀(すざく)・・・・・・・沼や湖があり、広大な土地・・・小椋池
北・冬:玄武(げんぶ)・・・・・山がある・・・船岡山

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周りをグルッと見てみます。五山送り火の「舟形」

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金閣寺方向、左大文字です。

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遠くにお寺の塔が見えます。どこでしょうか?

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西陣の町並み

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応仁永正戦跡・舟岡山
京都の西北隅に優美な姿をよこたえる舟岡山は、平安時代には、数々の祭祀が行なわれ、遊宴の岡でもあった。
しかし、中世後期には、戦略の要地として、この岡をめぐる攻防戦が戦われた。
その第一は、応仁の乱にさいしてである。西軍の大内政弘、山名教之らがここに布陣して小ぜりあいが続き、応仁2(1468)年9月には西軍が三方から攻撃して攻め落とした。しかし本格的な陣地は築かれなかった。
第二は、戦国時代、足利将軍家と細川家の内紛にさいしてである。
永正8(1511)年8月、いったん丹波に逃れていた将軍義尹(よしただ)が、細川高国らとこの岡に細川澄元、細川政賢を攻め、京都を奪回した。しかし、将軍の権威は、戦国乱世のさなか、まったく有名無実であった。(駒札より)

何かと歴史ありそうな物がいろいろありますが、私には分りません。

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山を下りて行きます。

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お宮さん、お地蔵様が・・・歴史あるものなのでしょうね。

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船岡山の麓には公園が。

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2007/02/01

織田信長を祀る建勲神社

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建勲神社 
通称の「けんくんじんじゃ」の方が知られていますが、「たけいさおじんじゃ」と読むのが本当のようです。バスだって「けんくんじんじゃ前」ってアナウンスしてます。

織田信長を祀る神社で、天下を統一した信長の偉勲を称え、明治2年(1869)明治天皇により創建された。同8年(1875)別格官幣社に列せられ、社地を船岡山東麓に定め、次いで現在の山頂に遷座した。(駒札より)

北参道から入って来ました。(次来る時は表参道から上がって行きます)

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スゴイ岩だこと。

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参道横に小さな石仏が。そして巨岩にビックリ。

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案内板です。拡大して読んでくださいね。

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案内板のあるところからは比叡山が見えます。左下の濃い色の小山の茶色い部分は「法」です。

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建勲神社へ

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拝殿から宝物館、
信長着用の紺糸威胴丸(こんいとおどしどうまる)、桶狭間の合戦の際の義元左文字の太刀、太田牛一自筆本の「信長公記(しんちょうこうき)」などの重要文化財のほか、信長ゆかりの宝物を多数有する。(駒札より)
遠くに右大文字が見えます。

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ドラマでこの一節を吟じながら「仕舞い」を舞う織田信長を見たような。

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階段を上って拝殿、本殿へ。

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拝殿の向こうに本殿。

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上を見てみると。

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織田信長の家紋、「木瓜紋の五瓜に唐花」

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拝殿の方から京都市内。

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左は社務所。

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明日は「船岡山」の予定です。

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階段を下りて手水の横を行けば「船岡妙見神社」がありました。
駒札には・・・
船岡妙見社は船岡山の地の神で、玄武(げんぶ)大神を祀る。
今より1200年昔、平安建都に祭祀、風水が相され、船岡山は台地の生気のほとばし出る玄武の小山とトされ、ここを北の基点として平安京が造営された。

玄武信仰は古くから広く行われ、宝永4年(1707年)発行の霊符縁起集説」に、「玄武神は亀なり。北方に静まり諸厄を祓い給う。玄武神は今の妙見菩薩にして童形なり。玄武の大元は国常立尊なり。水の神にして宅神なり。病魔退散の神なり」と見える。
船岡妙見は、船岡山の地の神として、諸厄消除、万病平癒し、家宅守護の御神徳が讃えられる。

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