千本ゑんま堂(引接寺) 説明は「Wikipedia」を載せています。
引接寺(いんじょうじ)は、京都市上京区にある高野山真言宗に属する寺である。正式な寺名よりも、通称の千本閻魔堂(せんぼん えんまどう)の方で知られている。
現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁(802年 - 853年)を開基とする。開山は源信の弟弟子の定覚。 ゑんま堂の公式サイトです。
安土桃山時代、京都に来た宣教師ルイス・フロイスの『日本史』(Historia de Iapan)中に、本寺の境内の様子が記されている。
1964年に後継者不足が原因で狂言が途絶える。1974年、不審火によって本堂・狂言堂が焼け、狂言衣装も焼失する。
しかし、翌年には千本えんま堂狂言保存会が結成され、本堂は一般の寄進を募って修復が進められ、狂言堂も仮建築ながら再建されて、以前の西陣講中を中心としたメンバーから一般から募集したメンバーも含めた編成に推移し、復活した狂言が毎年続けられる。
名前だけは良く知っていたし、節分の狂言もその日のニュースの定番だから知っていましたが、着いた時「???ここがゑんま堂ですか?」という感じでした。火災があったのですね。節分会前の1月27日、船岡山に続いて訪れました。
本堂
敷地内には消防分団」がありました。ゑんま様が睨みを利かせていらっしゃいます。
本堂に入ります。
閻魔王坐像(伝・定朝作)を本尊とし、脇侍を左に司命、右に司録を安置している。下に写真が貼ってありました。
「六道珍皇寺」にも大きな閻魔王坐像があります。六道珍皇寺の記事です。
子供の頃「人間は死んだら閻魔様の前に連れて行かれて善人は極楽へ悪人は地獄へ落とされるんだよ」っと聞かされたものです。
人頭幢(にんずどう) 写真の説明を読んでみます。
死後35日目に亡者が前世の裁きを受ける「閻魔之廳」。裁判官の閻魔法王は十王の中でも格別で最高の力を持っています。
脇侍の倶生神「司命尊」は亡者の前世の全てが記載された「閻魔帳」を持っており、閻魔様の左右には「浄玻璃(じょうはり)の鏡」と「人頭幢」が据えられています。
「浄玻璃の鏡」は閻魔様の思うままに亡者の前世における善行、悪行をなんでも写し出し罪人は言い逃れが出来ません。
「人頭幢」は亡者をみて、心を見抜き閻魔様に知らせています。杖の上に載っている二つの頭は俗に、「見る目」「嗅ぐ鼻」といって罪人の悪行を見つけたり嗅ぎつけたりする役をこなします。
閻魔様の前では「嘘も方便」は通用せず、今世も死後も妄言は慎まなくてはならないということを教えています。
「人頭幢」は1本で赤鬼の顔とお多福さんのような優しい顔が前後になっているボールペン(だったかな?)です。
・・・けれど「ゑんま様のお目こぼし」とは・・・宝前に供えられた御餅をかき餅にしたあられです。
1386年(至徳3年)の銘を持つ十重石塔(重要文化財)があり、紫式部の供養塔とされている。
倒壊の恐れとは・・・。 童観音
水子供養などもあってか、可愛いお地蔵様とか伝説に出てくるような竜の噴水がありました。
梅の花もちらほら。
鐘付き堂
今京都は「冬の特別寺院公開」をしていますが、「全部撮影禁止」のところが多いらしく、手荷物を預けなくてはいけない所もあるらしいのです。
全く行く気が起こりません。以前に撮った写真が貴重になってきたかも。
夫は「毎日定時の更新を皆が待っている」っていうのです。いつも私は元気なので少々のことでは倒れないと思われています。(お蔭で1年間毎日の更新が出来ましたが)。気の向いたいたときだけ係わってくる厄介な外野です。
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