寺院のプライド
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普通は「拝観謝絶」と書かれていることが多く、何とも冷たく淋しいものを感じます。
このお寺は直ぐ近くに有名拝観寺院のあるところです。
「拝観寺院ではありません」・・何となく寺院のプライドを感じました。
そしてもう一枚、庭園への入り口の扉に・・・。(撮影:2006年10月29日)
広々とした境内、小ぶりの銀閣寺かと見紛う仏殿に茶室等々。荒れ果てていましたが、手入れされれば有名拝観寺院に劣らない見事さでした。
写真をいっぱい撮らせて頂きましたが記事にはしていません。
もしかしたら、言葉とは逆に・・・
寺院、庭園が立派に甦ることを密かに願って、開放してくださっているのかしら・・・とも思っております。また時期を違えてここを訪れてみたいと思います。
京都散策で見かけたちょっとしたことを記事にして行きます。
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コメント
こんばんは。
いかにも「京都」にありがちな寺院ですね。
ここのご住職に「知る人ぞ知る、秘湯の様な」お寺で
ありたいというお気持ちがあるのかも知れません。
ひとりの京都人として「京都にも俗化していない、
地元の人たちの信仰をひそかに集める地味なお寺」が
あって欲しいと思います。
建前と裏腹に、意外と優しいお心のご住職の様な気がします。
「京都人」は言葉で本音を出さないことがままありますので・・・
投稿: 京都出身の伊丹市民 | 2007/02/25 19:55
★京都出身の伊丹市民さん こんばんは♪
この寺院、境内の荒れ方が酷いのです。勿体ないです。広過ぎて手が回らないのでしょうか。時代に乗らなかった頑なな・・・そのような気もします。
そうですね、言葉はきつくても、自由に見せてくださる心意気が嬉しいです。
京都人は本音を言わないと言われますね。私も年とともにそういう風になって来ました。でも言わないのは思いやりでもありますし。
投稿: りせ | 2007/02/25 22:48