京の滝めぐり1
京都にはたくさん滝があります。といっても、お寺や神社の境内に
あるアレです。今まで風景の一部として写真を撮ってきたのですが、
後で調べるといろんないわれがあるのですね。あらかじめ知って
いればもっと感慨があったかも知れないのに、などと反省しながら
お届けします。
金閣寺 龍門ノ瀧(4月)
金閣の北側にあり、滝の中央下で「鯉魚石」が滝登りをしています。
「登竜門」という言葉の由来となった、滝を登った鯉は龍になるとい
う中国黄河の竜門の故事を表しています。
11月
天龍寺にも龍門の滝があります。
天龍寺十境 曹源池(5月)
当時開山窓国師(1339年)の作庭にして右手遠景愛宕山、小倉山、
正面亀山、左手嵐山を借景した池泉回遊式庭園である。正面三
段の滝組は龍門の瀧と称する。(鯉魚は天に登って龍となるとの譬
の如く、登龍門は難関を突破して事を成就するの意)、中国唐宋時
代の枯墨山水画と州浜形の大和絵風との調和に依る秀れたる庭
園である。
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退蔵院(妙心寺塔頭) 余香苑(6月)
昭和38年(1963年)から3年の月日を費やして造園家の中根金作
が作庭した昭和を代表する名園で、大刈込みの間から三段落ち
の滝が流れ落ち,深山の大滝を見るような風情がある。
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名古會滝跡 大覚寺(7月)
大沢池は、嵯峨天皇が営んだ離宮嵯峨院の庭園の名残で、中国
の洞庭湖を模して作られたと伝えられます。池の北東約100mには、
藤原公任(ふじわらのきんとう)の百人一首(滝の音は、たえて久し
くなりぬれど、名こそ流れて、なお聞こえけれ)の歌で有名な名古曾
滝の石組が残っています。
滝はもうありませんが、伏流水がしみ出て池まで流れています。
ついでに、滝から大沢池まで続いていた「遣水(やりみず)」について
平安時代初期には、大きく蛇行しながら滝から池まで続いていた
素掘りの遣水も、藤原公任が歌に詠んだ頃には滝も涸れ、半ば
が埋もれてしまいました。そこで伏流水を集めるための方形の石
組が設けられ、下流部分のみが遣水として再生されます。大沢池
への注口も景石や玉石を敷いた堰が作られるなど改修されました。
(石碑から) 下の写真は発掘調査のときのもの
現在の水の流れは発掘調査にもとづいて再現されたものです。
源氏物語の舞台ともなった、平安時代の景勝地の面影が、
1000年の時を越えてよみがえってくるような気がします。
いつも見てくださって有り難うございます。
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コメント
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投稿: 世界一の不動産王 | 2007/10/03 16:15
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投稿: りせ | 2007/10/04 11:05