飛行神社
京阪の八幡駅から10分ほど歩いたところに飛行神社があります。
大正4年、二宮忠八が自邸内に世界中の航空殉難者の霊を祀るため
に創始したのが始まりです。天磐船(あめのいわふね)に乗って地上に降
臨したとされる饒速日命(にぎはやひのみこと)がおまつりしてあります。
航空業界に業績を残したものの霊と、世界中の全ての航空事故の犠
牲者の霊を祀っています。(鳥居は飛行機の材料のジュラルミン製)
二宮忠八が、どのような経緯でこの神社を創設することになったので
しょうか。(航空安全のお守り)・・・(参考・上賀茂神社にもありましたよ)
二宮忠八(1866-1915)は、わが国初の飛行機発明者で、日本航空界
の先駆者である。彼は明治24年「カラス型飛行器」というゴム動力による
プロペラ式の模型飛行機を発明した。(自衛隊機のジェットエンジン)
プロペラ式の模型飛行機としては世界初であった。さらに工夫を重ねて、
人を乗せて飛べる「玉虫型飛行器」の模型を完成させたが、動力部分は
個人の努力と資金だけでは限界があった。(戦後大阪湾で底引き網に
かかった「零戦」のプロペラ)
そこで陸軍上部に設計図をそえて飛行機研究の採用を求める上申書
を提出したが、夢物語と却下されてしまった。この時彼が設計したもの
は後のライト兄弟のものより構造上優れた面もあるといわれている。
(戦争の悲惨さも感じられます)
独力で完成させることを決意した忠八は、除隊して大阪で製薬会社に
入社し、薬品の改良研究で業績をあげ資金をととのえた。(資料館)
そして彼の故郷愛媛県八幡浜と同じ地名の八幡の地で飛行機研究に
打ち込んだ。(ギリシャ神殿のような拝殿)
(照明はプロペラ、明かり窓のステンドグラスはトビウオ)
しかし、明治36年世界初の有人飛行実験の成功はライト兄弟によって
先を越されてしまった。忠八の設計図は16年も前にすでに完成していた
のに。(饒速日命以外に、彼の職業から薬祖神、信仰のあった金毘羅神、
地主神の白龍神がおまつりしてあります)
それ以後飛行機制作を断念した彼であったが、飛行機墜落の事故を
聞く度に犠牲者の死を悲しみ、航空事故の防止・犠牲者の冥福を祈る
ため私財を投じて神社を建設した。それが日本初の航空関係神社の
「飛行神社」である。
神社の絵馬は受験生のものが多いのですが、ここでは航空会社の
資格試験や訓練の合格祈念が目立ちます。
時間がなかったので資料館には入っていませんが、忠八の遺品、航
空・宇宙関係の資料や文献などがあり、熱心な説明が聞けます。また、
毎年4月29日に行われる慰霊祭には、パイロットや航空会社の関係者
数百人が参列するとのことです。(空を見上げると)
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コメント
ヘェーこう云う人がいたんだ。また、こう云う神社もあるんだ。たしかガリレオもヘリコプターの原理を考え出したとか…
わたしは、いまだに飛行機に乗るのが怖い。トホホ
投稿: tennis | 2007/12/12 13:36
知ったかぶりして、間違えました。
レオナルド・ダ・ヴィンチでした。
投稿: tennis | 2007/12/13 08:16
★tennisさん お早う御座います♪
上の石清水八幡宮の横に「エジソン記念碑」(電球フィラメントがここの竹)がありますから、飛行神社もありの土地柄だと思いました。
何の疑いもなくガリレオを聞いていました。そうでした、レオナルド・ダ・ヴィンチでした。
投稿: りせ | 2007/12/13 09:57