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2008年2月の記事

2008/02/26

赤の宮神社 (賀茂波爾神社)

     高野橋から北東に10分ほど歩いたところに赤の宮神社があります。
     街中の小さな神社という風情ですがそれなりの由緒があり、ときには
     賑わいを見せることもあります。

     賀茂波爾(かもはに)神社 下鴨神社の境外摂社で別名赤の宮神社
     御祭神の波邇安日子神、波邇安日女神は天照皇大神の御弟神で大地
     を守護し、万物の生成発展、殖産興業をはじめ方除、災難除、疫病、
     厄除け等多方面に亘っての御神徳を備えられている。

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     創建の年代は不詳であるが、延喜式神名帳に「賀茂波邇神社二座」と
     ある社で延喜年間(901-922)以前からこの地に山城平野の総鎮守神と
     して奉祭された。

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     現在の社名は賀茂御祖神社第4摂社賀茂波邇神社であるが、明治
     10年3月に官幣大社賀茂御祖神社の摂社に加列し、それ以前は村社
     波邇神社といい、単に赤の宮とも呼ばれていた。

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     赤の宮と呼ばれている理由は、稲荷神や迦遇突智神とが併せ祀られて
     いたからといわれている。稲荷の神を祀る社は社殿を朱に染めるところ
     から、当神社も古くは丹塗りであり、江戸時代にはすでに赤の宮稲荷大
     明神と呼ばれていたというわけです。

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     一方、当神社の祭神を西泥部、土師などが祖先神と仰ぐところから、
     赤土の宮が赤の宮となったとする説もある。ちなみに、波爾は埴輪
     の埴の意味で、土を表す。

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     当神社の鎮座地は高野川の畔であるところから、度々河川の氾濫に
     より社殿は流失し、田畑は荒廃を極めた。

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     寛文11年(1661)頃、修学寺(修学院)に御本屋、離宮が造営され、その
     御幸路に接し、また同じ頃高野川流域の新田開発が成功して以来急速
     に発展した。波邇井は地元の方が水を汲みに来ます。

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     5月12日は賀茂波爾神社の例祭で、下賀茂神社の御陰祭とも重なり、
     この日だけは賑わいを見せます。

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     御陰祭は葵祭りに先駆けて神霊を下鴨神社に迎える神事で、早朝に
     祭官たちが下鴨神社を出発して八瀬御蔭神社に向かいます。八瀬御
     蔭神社で神移しが行われたあと、神様とともに赤の宮神社に立ち寄り、
     休憩や儀式があります。その後、下鴨神社南参道までを巡行します。
     写真はその後で出発する子供みこし、近所を練り歩きます。

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2008/02/23

狛狐 伏見稲荷大社

     伏見稲荷大社の場合は狛犬ではなく狛狐です。楼門の両側で立派な
     きつねが迎えてくれます。伏見稲荷大社のHPに書かれている由来から、
     なぜ狐なのかが分かるかも知れません。

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     欽明天皇が即位(539または531)する前のことについて、『日本書紀』
     では次のように書かれています。

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     欽明天皇がまだご幼少の頃のある日のこと「秦(はた)の大津父(おお
     つち)という者を登用すれば、大人になられた時にかならずや、天下を
     うまく治めることができるでしょう」という夢をみました。

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     天皇は目覚めてから早速方々へ使者を遣わされて探し求められたと
     ころ、山背国紀伊郡深草里に秦の大津父がいたのです。

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     天皇はこれを大いに喜ばれて早速彼を宮廷に呼び寄せられ、「今までに
     何事かなかったか」と問われたところ、彼は「別段何もありませんでしたが、
     伊勢のほうへ商いに行っての帰り道、山(稲荷山南麓の大亀谷)にさしか
     かったところ、二匹の“おおかみ”が血を出しながら争うのを見つけました
     ので、馬より降り、口をすすぎ、手を洗って『汝は貴い神であるため荒い事
     などを好まれるが、もし狩人が来たならばたやすくとらわれてしまうから争
     うのはおやめなさい』と血をぬぐって山へはなしてやったので、その“おお
     かみ”は二匹とも命を全うできました」と答えました。

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     そこで天皇は、「夢で見たとおりの人に会えたのは、おそらく神のおかげ
     であろう」と仰せられて、彼を厚く遇せられ、やがてにぎわいを呈するよう
     になり、即位されると共に、彼を今でいう大蔵省の重席に任じたとあります。

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     平安時代初期に編集された『新撰姓氏録』によると、その当時近畿に住
     んでいた諸蕃(渡来および帰化系氏族)のうち、「秦氏」は中国・秦の始皇
     帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また融
     通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して帰化した、とあります。

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     ところが、伏見稲荷大社のHPによれば、上のような由緒ある来歴はあま
     りあてにならず、近年では秦氏は朝鮮半島の新羅地方出身であろうと考
     えられているとのことです。

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     いずれにしても、雄略天皇の時代に、多数の渡来人があり、とりわけ秦氏
     族は当時の先進地域であった大陸および朝鮮半島の文物をわが国にもた
     らし、後の律令国家建設のために大いに役立ったと思われます。例えば、
     記録、出納、徴税、外交事務それから文字使用を業とするのは、もっぱら
     これらの氏族であったと考えられています。

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     朝廷の渡来あるいは帰化氏族に対する処遇がよかったことがうかがわ
     れるのも、以上の技能を高く買われてのことであろうとされている。彼ら
     はたいてい畿内の小豪族としての生活を認められ、それぞれの特技を
     生かした専門職の地位を与えられていたようです。 

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     山城国における秦氏族の本拠地は右京の太秦であるとされ、深草の
     秦氏族は系譜の上では太秦の秦氏族の分家と考えられている。この太秦
     の秦氏族は、7世紀頃、桂川の大堰を築堤したり、藤原氏と姻戚関係を
     結び、長岡遷都や平安遷都の際にも、河川の改修や都城の造営等で
     大いに影響を与えたとされます。

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     また、山背国の由緒ある豪族の賀茂県主族とも早くから姻戚関係を結び、
     ついには賀茂県主の子孫を自称するようになるのです。賀茂県主族は
     名社・賀茂社を奉祀していた名族で、新参の渡来氏族が彼と結びつくこと
     によって、その名をとり、一方賀茂氏族は、当時としては近代的な文化
     や経済などの実をとったのであろうと考えられています。

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     こうして太秦の秦氏族は、大宝元年(701)桂川畔にそびえる松尾山に
     松尾神を奉鎮、深草の秦氏族は、和銅4年(711)稲荷山三ケ峰の平らな
     処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして、御神威赫々たる大神が
     あたかも鼎立する結果となったのです。

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2008/02/20

反射する京都7 水面

     以前に広沢池、大沢池、宝ヶ池の水面に反射する風景をお届けしました。
     今日はもう少し小さい池です。

     青龍苑(清水産寧坂) 中にイノダコーヒー他いくつか店があります。

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     神泉苑 法成就池

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     二条城の堀

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     金戒光明寺 兜の池

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     槇尾 西明寺 どういう状況か分かりにくいかも。

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     白沙村荘 芙蓉池

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     高台寺 臥龍池(もしかしたら偃月池かも)

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     修学院離宮 浴龍池

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     本編と同様にもうしばらくコメントの返事ができません。でも、励みになり
     ますのでコメントしてくださると嬉しいです。

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2008/02/19

京の眺望8 大山崎山荘美術館

     昨日この山荘の小さな滝を紹介しましたが、2階のテラスからの眺めは
     なかなかのものです。

     アサヒビール大山崎山荘美術館は、アサヒビール運営による私立美術館
     である。大阪府と京都府の境にある天王山の山腹、乙訓郡大山崎町に
     位置し、真下に木津川・宇治川・桂川の三川が淀川へと合流する美しい
     風景を見ることができる。いつも通り、説明はWikipediaからの要約です。

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     コレクションの中核は、現アサヒビールの創業者として知られる実業家
     山本為三郎の収集したコレクションである。彼は大正から昭和初期に
     柳宗悦らが提唱した「日本民藝運動」の賛同者であり支援者でもある。

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     大山崎山荘には民芸運動にかかわる河井寛次郎、バーナード・リーチ、
     濱田庄司、富本憲吉、棟方志功、芹沢銈介といった作家たちとの交流の
     中で収集された作品が展示されている。その他の陶磁器・染織・絵画など
     の作品、朝鮮王朝の古陶磁、イギリスのスリップウェアなどの古陶磁と
     いった美術品は、,山本自身が日常愛用したものである。

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     さらに、モネの絵画『睡蓮』連作を複数所有するほか、ヴラマンク、モディ
     リアーニ、クレー、イサム・ノグチ、ジャコメッティ、ムーアなどの近現代
     美術も展示されている。

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     この山荘がなぜアサヒビール運営の美術館となったのでしょうか。

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     大山崎山荘は加賀正太郎という人物の建物だった。1888年、大阪船場の
     株相場師の息子として生まれた彼は、現在の一橋大学を卒業するとイギ
     リスを中心に欧州へ遊学し、アルプスの山々に登頂した日本人のさきがけ
     となった。

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     日本帰国後は証券会社(加賀証券)を設立したほか、1934年にはサント
     リーの前身壽屋で山崎工場を立ち上げたもののオーナーとの路線対立
     から独自でウイスキー製造に乗り出した竹鶴政孝を支援して大日本果汁
     (後のニッカウヰスキー)創立に参加するなど、イギリスから持ち帰った
     モダンな生活様式を日本に定着させようとした。

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     彼は天王山山麓の淀川の流れを見下ろすこの場所に、テムズ川を見下
     ろすウィンザー城の風景を重ねあわせ、ここに山荘を作りたいと考えた。
     1912年に建設に着手、1915年には最初の木造の望楼「白雲楼」が、さらに
     増築を重ね1932年には現在見る本館である「霽景楼(せいけいろう)」が
     完成した。加賀は併設された温室でイギリス時代以来夢中だった洋蘭の
     研究や品種改良を進め、『蘭花譜』という図録を出版し、1954年に死去した。

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     山荘は後に加賀家の手を離れ、様々な所有者の手に移り一時は会員制
     レストランなどに再利用されるが年々老朽化が進み、バブル経済末期には
     建設業者が買収し、一帯を更地に地上げするマンション開発計画を立てた。

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     天王山の横腹に大きなマンション群が林立し景観が一変することに反対
     する地元住民は山荘の価値を見直し、山荘と周囲の森林の保全を訴えた。

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     これが大山崎町や京都府を動かし、さらにアサヒビールの社長樋口廣太
     郎が保存に協力することになった。これには、アサヒビールがニッカウヰ
     スキーを子会社にしており、山本為三郎と加賀正太郎は交友があったこと
     などの縁があった。

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     こうして土地は京都府や大山崎町などが業者から買い取り、山荘はア
     サヒビール運営の山本コレクションの美術館となることが決まり、後には
     安藤忠雄が建築設計・監修に選ばれた。山荘の建物や内装は建設当時
     のクラシックな姿に修復される一方、山荘に付属する形で廊下で結ばれた
     シリンダー状の新展示室は、周囲の自然環境や山荘の落ち着いた調和
     を乱さぬよう、地下に計画された。

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     この山荘へは、JR山崎駅か阪急の大山崎駅から無料の送迎バスが
     出ています。山荘だけあって、終点からもちょっとした登りがあります。

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2008/02/18

京の滝めぐり6

     京の滝めぐりの6回目です。いままではおもに寺社の境内にある「滝」を紹
     介してきましたが、今日はホテルや施設の庭にある滝です。過去のシリーズ
     をご覧になりたいときは右の検索窓に 京の滝めぐり と入力してください。

     アサヒビール大山崎山荘美術館
     紅葉の季節を過ぎて、南天、万両、ネズミモチなどの赤い実の 色が一層
     映えています。(写真は8月ですが、HPの説明は今の季節です)

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     木々は葉を落とし、シジュウカラ、メジロ、ジョウビタキなどの 野鳥の姿も
     観察しやすい頃です。澄み切った空気の中、2階テラスから眺める三川
     の眺望もお楽しみください。雪の山荘景色もお薦めです。

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     ホテルフジタ京都 庭園

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     滝を配した庭園の眺めを味わえるバーなど、バレエティ豊かな趣向を
     凝らした和食、フランス料理、中国料理の店の数々があなたをお待ち
     しております。 (レストランの案内から)

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     ウェスティン都ホテル京都 葵殿庭園
     葵殿庭園は宴会場「葵殿」の南斜面にひろがり、三段の滝で構成
     された雄大な回遊式庭園です。この庭は、日本の近代庭園の先覚
     者として有名な、京都の庭師・七代目小川治兵衛によって、作庭さ
     れたもので、池や流れを「沢飛び」で渡る手法、琵琶湖西岸から疎
     水船で運ばれてきた縞模様のはっきりした守山石の配置などに特
     徴が見られます。

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     殊に、急斜面の自然地形を活かしてデザインされた「雲井の滝」と呼ばれ
     る三段の滝は、小川治兵衛」の作品の中でも傑作といわれています。
     葵殿の改築(平成4年10月竣工)にあたり復元整備されましたが、この庭園
     は文化財として貴重であるばかりではなく、デザイン的にもきわめて優れた
     文化遺産で、当ホテルの長い歴史と豊かな文化・自然環境を表すシンボル
     的な存在となっています。(HPから)

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     京阪三条モール街の内庭 KYOEN

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     何回も登場していますが、日本庭園の各種オブジェがあります。

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     しょうざん光悦芸術村 日本庭園

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     鷹ヶ峰三山を借景に見事にひろがる 三万五千坪のこの土地は
     歴史的な伝統の背景と自然美に囲まれ 今も生き続けています
     (HPから)

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     修学院離宮 雄滝

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     隣雲亭から北の方向に道を下ると、やがて滝音が聞こえ渓流の石橋を
     渡ると木立の奥に垂直に畳んだ高さ6m余りの切石を布引きに落ちる
     滝が現れる。 修学院離宮には、「白糸の滝」もあるそうですが、気が
     つきませんでした。

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2008/02/17

六孫王神社

     京都駅の新幹線高架のすぐそばに六孫王神社があります。由緒は古く、
     交通の便もよいところにありますが、訪れる方は多くはありません。

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     こちらが正面になるのかも知れません。

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     六孫王神社は、京都市南区にあり源経基を祭神とする。経基は清和天
     皇の第六皇子貞純親王の子であり、天皇の孫であることから「六孫王」
     と呼ばれた。

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     嫡子で、当社を創建した源満仲が清和源氏の武士団を形成したことから、
     「清和源氏発祥の宮」を称している。社地は、源経基の邸宅「八条亭」の
     跡地である。 多田神社(兵庫県川西市)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)と
     共に「源氏三神社」の一つとされる。(説明はWikipediaから)

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     応和元年(961年)、経基は臨終に際し、「死後は龍神となって邸内の池に
     住み、子孫の繁栄を祈るから、この地に葬るように」と遺言した。応和3年
     (963年)、嫡子の満仲は現社地に経基の墓所を建立し、その前に社殿を
     造営した。これが当社の創建である。

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     現在も、本殿後方に経基の石積の廟がある。

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     鎌倉時代、源実朝の妻の本覚尼がこの地に遍照心院(大通寺)を建立し、
     当社はその鎮守社とされた。その後、戦乱などにより社殿を失い、経基の
     墓所だけが残された。

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     元禄13年(1700年)より、江戸幕府により社殿の再興が進められた。こ
     れは、徳川家が清和源氏の末裔を自称していたためである。(神龍池)

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     元禄14年(1701年)には正一位の神階と権現号を授けられた。宝永年間
     に社殿が再建された。そのため、10月の例祭は「宝永祭」という。

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     江戸幕府の滅亡とともに衰微し、また、神仏分離により大通寺と別れた。
     明治44年(1911年)、国鉄の鉄道用地となったため大通寺は移転した。

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     この神社は、緑から黄色、ピンクと色を変えていく御衣黄桜でも有名
     ですが、その頃に訪れる機会があるかどうか分かりません。

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     この地区の防災、消火活動の住民組織として、梅逕学区自主防災会
     があり、境内の北側(右の建物)に防災機器の格納庫があります。

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2008/02/16

田園風景

     京都も宅地開発が進み、田んぼや畑が少なくなってきました。それでも、
     市街地から周辺部に行くと田園風景を見ることができます。こんな風景
     が気に入っているのは、地元に住んでいるからなのでしょうか。

     曼殊院ちかく

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     正伝寺ちかく

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     松ヶ崎

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     当尾 岩船寺から浄瑠璃寺への石仏めぐりの道

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     松花堂からみた八幡

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2008/02/15

京の占い師

     おみくじも占いといえますが、今日は街で見かけた手相や人相をみる
     運命鑑定師(占い師)の方々です。お店?だけのものもあります。

     平安神宮 初詣

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     八坂神社

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     大原

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      錦市場

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     吉田神社

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     伏見稲荷大社

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     木屋町 快く撮影に応じていただきました。

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2008/02/14

石仏 子安観世音

     百万遍から今出川通を銀閣寺の方にいくと、しばらくして大きなお地蔵さん
     がいます。この石仏が子安観世音です。

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     ここは昔から白川の村の入口に当たり、東は山を越えて近江に向い、
     洛中へは斜めに荒神口に達していた。

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     また出町から百万遍をへて浄土寺へ向かう細道との交差点でもあった。

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     この堂々たる鎌倉期の石仏は、「拾遺都名所図会」に希代の大像として
     描かれている。弥陀像であるが長い歳月の間にかなりの風化が見られる。

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     古来子安観世音として町の人々の信仰があつく今も白川女は必ずここに
     花を供えて商いに出る。行事:8月17日盆供、11月17日お火焚

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     この石仏のエピソードの中で、豊臣秀吉を負かしたことは有名です。
     ある日、秀吉に気に入られ、聚楽第(じゅらくだい)に連れ去られた。
     しかし、「白川に戻せ」と毎夜うなり声を上げ、元の地に戻されたという。

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2008/02/13

京の眺望7 法の山

     夏の暑い日に宝が池に行く途中、松ヶ崎大黒天の鳥居を見つけて
     立ち寄ってみました。

     高野川をさかのぼっていくと、法の字が見えてきます。

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     北山通からはこんなに近く見えます。

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     松ヶ崎大黒天

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     建物は少し高い所にあります。

     Imj_9231a

     境内の隅にこんな案内がありました。

     Imj_9299a

     公園を少しのぞいてみようと登りました。かなりの坂道でした。

     Imj_9305a

     そこには火床があり、法の字の下に出ました。緑の線は高野川。
     この山の本当の名前は、松ヶ崎東山または大黒天山だそうです。

     Imj_9328a

     山から市内に向かって、左(東)には大文字山

     Imj_9317a

     正面は市内南部まで見えます。

     Imj_9318a

     右は西山方面

     Imj_9344a

     下を見ると、北山通や工芸繊維大学が見えます。

     Imj_9341a

     法の字からさらに上に登ると比叡山が間近に

     Imj_9335a

     ひょんなことから登ることになった法の山でしたが、暑くて大変でした。
     でも、以外によい展望で得をした気がしました。

     Imj_9337a

     下をクリックすると大きな写真がスクロールします。うまくいかない方は
     ごめんなさい。

  Imj_9311_16z2

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     Imj_9351a

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2008/02/11

狛鹿 大原野神社

     ついこのあいだ貴船神社奥宮の狛犬をお届しましたが、狛犬以外の
     動物が置いてある神社があります。一般には、神使(しんし)というそう
     で、時には神そのものと考えられている場合もあります。

     大原野神社参道 以下の写真は11月と12月のものです。

     Dsc13503a

     特定の動物が神の意志を伝えるという説話は日本神話の中にも見られる。
     日本書紀の景行天皇記には、伊吹山の荒神(あらぶるかみ)が大蛇に化
     身して日本武尊の前に現れたのを、尊は「大蛇は荒神の使いだろう」と
     言ったという記述がある。紀の皇極天皇記には、猿を「伊勢大神の使」とし
     て、その声で吉凶を判じたという記述がある。(Wikipediaから)

     Dsc13513a

     時代が下ると、神使とされる動物は、その神の神話における記述や神社
     の縁起に基づいて固定化されるようになり、その神社の境内で飼育される
     ようにもなった。さらには、稲荷神社の狐のように、本来は神使であるもの
     が神そのものとして祀られるようにもなった。これは、神とは無関係に、
     その動物自体が何らかの霊的な存在と見られていたものと考えられる。

     Imi_4363a

     狛犬ならぬ狛鹿でした。

     Imi_4347a

     ここからは、大原野神社のHPから、
     大原野神社鎮座のあたりは古くから開けたところで、1万年以前の有柄
     尖頭器が神社の山の手から発見されている。

     Imi_4345a

     延歴3年桓武天皇が都を奈良から長岡京(現向日市)に遷されたとき、
     天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれた。藤原氏の人や多くの供奉
     の人達はこの美しい風景を賞でて氏神春日大社の分霊を遷し祀ることに
     した。これが当神社の起りである。

     Dsc42178a

     つまり、大原野神社は春日大社の分霊を遷したもので、狛鹿もそこから
     来ているのでしょう。

     Dsc42179a

     ちなみに、春日大社の項には、
     鹿は春日大社の神使であり、春日大社創建の際、茨城県にある鹿島
     神宮の祭神が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる(春日大社は鹿島
     含め3社の分霊)。

     Imi_4374a

     結局、狛鹿は茨城県の鹿島神社とゆかりがあったのですね。

     Imi_4383a

     暗くなってきました。

     Imi_4415a

     Imi_4357a         

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     この一枚だけは4月です。左に黄桜が見えます。

     Imj_1614a

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2008/02/10

人力車がある風景4

     人力車を見ると反射的にカメラのシャッターを押してしまいます。一度は
     乗って観光客気分を味わってみたいと思いながらも、恥ずかしくて勇気が
     ありません。そんなうらやましい気持ちが混じった写真です。

     清涼寺(嵯峨釈迦堂)の仁王門から ほんとは清凉寺

     Imk_6945a      

     同じくあぶり餅で有名な大文字屋さん

     Imk_6951a

     上の通りの突き当りにある寶筺院

     Dsc_1891a

     嵐山 渡月橋通り

     Imh_1195a

     嵯峨野竹林の出口(入口?)

     Img_7638a

     落柿舎 いつも同じような構図

     Img_7645a

     青蓮院前

     Iml_0483a

     知恩院古門 柳の白川の近くです

     Imj_4966b

     ねねの道

     Imi_7863a

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     Imk_7822a

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2008/02/09

垣間見る京都11 簾2

     この間すだれを通してみる風景をお送りしましたが、忘れないうちに
     その続編です。

     槇尾 西明寺

     Dsc_1292a

     12月上旬

     Imi_3912b

     1月下旬

     Iml_1077a

     大徳寺興臨院

     Imk_9762a

     Imk_9706a

     青蓮院

     Img_3539a

     剣神社 菱格子と簾の合わせ技

     Imh_5259a

     大徳寺龍源院

     Dsc09180a

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     大徳寺大仙院  (撮影日2004/7/28・・・現在は撮影禁止になってます)

     Dsc09174a

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2008/02/08

はるかなる道

     題名がすこし大げさですが、できるだけ遠くまで続いている道や通路です。
     歩くことは嫌いじゃないので、こうゆう道は楽しくなります。

     桃山御陵

     Imk_5769a

     Imk_5798a

     京都国際会館

     Imj_9524a

     地下鉄国際会館駅への通路

     Imj_9537a

     新京極

      Img_8833a

     大徳寺黄梅院

     Imk_9492a

     東福寺

     Imj_3581a

     萬福寺

     Imh_8905a

     嵯峨野竹林

     Img_7616a

     伏見稲荷大社

     Dsc08636a

     京都駅ビル スカイウェイ

     Dsc29765a

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     動物園前

     Dsc15945a

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2008/02/07

反射する京都6 床

     今日は床面に映る風景です。といっても、はっきり形が分かるわけでなく、
     なんとなく色が映っている程度です。

     宝泉院 11月

     Dsc41034a

     1月

     Dsc15699a

     勝林院

     Dsc40983b

     観智院 5月 窓にも映っています。

     Imj_3020a

     拾翠亭 7月

     Dsc29357a

     大覚寺霊明院 7月 朱の床に緑が映るとこんなことになります。

     Imh_1298a

     Imh_1302a

     12月のライトアップ

     Imi_5000a

     実相院 9月 いわゆる「床緑」というやつです。(撮影 2004/9/5)

     Dsc10114a

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     紅葉の頃には撮影禁止になってました。かわりに、、、
     上の写真の色を変えたものを。

     Dsc10114b

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2008/02/06

狛犬 貴船神社奥宮

     観光客でにぎわう貴船神社本宮から、川に沿って上流に向かうと、結社
     (中宮)、そして奥宮(おくみや)があります。昔はここが本宮だったそう
     ですが、鬱蒼とした大木に囲まれて今は訪れる人もあまりありません。
     今日は奥宮の狛犬に会いに行きます。

     奥宮参道、向こうに神門が見えます。

     Imj_4129a_5

     地形からでしょうか、拝殿と本殿の位置は門の正面ではありません。

     Imj_4140a

     狛犬は拝殿の前にいました。

     Imj_4141a

     ところで、狛犬とはそもそも何でしょうか?
     狛犬とは、犬に似た想像上の獣の像である。神社や寺院の入口の両脇、
     あるいは本殿・本堂の正面左右などに1対で置かれている。なお、厳密に
     は「獅子・狛犬」と呼ぶのが正しいとされている。(Wikipediaから)

     Imj_4143a

     一般的には、向かって右側の像は「阿形(あぎょう)」で、角はなく口は
     開いている。そして、向かって左側の像は「吽形(うんぎょう)」で、1本の
     角があり口を閉じている。

     Imj_4145a_3

     両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多いが、厳密には、角のない
     方の像を「獅子」、角のある方の像を「狛犬」と言い、1対で「獅子狛犬」
     と称するのが正しいとされている。     

     Imj_4144a

     昭和時代以降に作られた物は、左右共に角が無い物が多い。これらは
     本来は「獅子」と呼ぶべきものである。

     Imj_4162a

     ということだそうです。
     寺社に行って必ず写真を撮ることにしている狛犬ですが、写真の整理が
     追いつきません。ぼちぼち紹介していこうと思います。

     Imj_4148a

     Imj_4147a

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     Imj_4172a    

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2008/02/05

たそがれ京都 岡崎疎水

     どんよりとした花曇りの夕方、岡崎疎水(琵琶湖疎水)に沿って蹴上から
     東大路まで歩きました。春が待ち遠しいのか写真の枚数が増えました。

     動物園前

     Img_4896a

     平安神宮大鳥居

     Img_4902a

     西(下流)の方

     Img_4903a

     国立近代美術館

     Img_4914a

     疎水はここで曲がり北に流れます

     Img_4920a

     振り返って東の方

     Img_4927a

     北の方

     Img_4924a

     Img_4929a

     二条橋から南 左はみやこメッセ

     Img_4933a

     Img_4936a

     東の方

     Img_4935a

     北の方

     Img_4937a

     冷泉橋から北の方 疎水はこの先から再び西に流れます

     Img_4946a

     南の方 大分暗くなってきました

     Img_4947a

     Img_4951a

     徳成橋から東の方 東大路まで来ました

     Img_4956a

     西の方 疎水は鴨川まで流れます

     Img_4957a

     Img_4953a_2

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     Img_4940a

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2008/02/04

結び木

     おみくじにはいろいろな種類があって、以前に「変わりおみくじ」と
     して記事にしました。おみくじや願い事を書いた札を結びつける
     「結び木」にもいろいろあるものですね。

     平安神宮 初詣のときは壮観です。

     Dsc_8669a

     4月、桜の木のようです。

     Dsc24955a

     ところで、いつもお世話になっているWikipediaでは、
     『引いた後の神籤を境内の木の枝などに結ぶ習慣がある。「結ぶ」が恋愛
     の「縁を結ぶ」に通じることから江戸時代から行われてきた。(↓下鴨神社)

     Dsc_8346a

     その後、神様との「縁を結ぶ」として木に結びつけられるようになった。

     Dsc_8325a

     また、「凶のおみくじを利き腕と反対の手で結べば、困難な行いを達成
     つまり修行をしたことになり、凶が吉に転じる」という説もある。(↓六角堂)

     Dsc61230a

     Dsc61233a

     熊野神社

     Dsc_8854a 

     だが近年、木に結ぶと生育が悪くなるため、参拝者が神籤を結ぶために、
     2本の木の柱の間に張られた縄を用意している寺社もある。』

     実際には、縄だけでなくいろいろありますね。(清明神社)

     Dsc_2951a

     岡崎神社

     Imj_4457a

     貴船神社中宮

     Dsc09452a

     松尾大社 (大原野神社にも同じようなものがあります)

     Imh_6803a

     安井金毘羅宮

     Imj_0764a

     願い事を書いた札を持って穴を往復すると、それがかなうのだそうです。

     Imj_0784a

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2008/02/03

京のわんこ9 散歩注意

     いままでワンちゃんの写真を紹介してきましたが、散歩の注意の看板も
     気になっていました。飼い主の皆さんはマナーを守ってくださいね。

     まずは公共の場所から、哲学の道

     Dsc_3138a

     岡崎疎水

     Iml_0106a

     嵯峨野竹林近く

     Imk_9363a

     某大学の構内

     Imk_5037a

     伏見桃山御陵

     Imk_5814a

     大山崎山荘美術館

     Imk_2811a

     上賀茂神社

     Imk_4665a

     霊鑑寺

     Dsc_3177a

     東福寺 面白看板1で紹介したものです。

     Imj_3497b

     田中神社

     Imk_1279a

     神応寺

     Imk_8181a

     真如堂 これはプロがつくった看板と思われますが、

     Imj_4350a

     手作りの看板が境内のいたるところにあります。

     Imj_4310a

     看板だけを並べるといろいろな表現があるものですね。それぞれの場所に
     よって事情が異なるのでしょうから、比較することは止めておきます。

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     Imj_4311a

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2008/02/02

垣間見る京都10 簾

     簾(すだれ)は、強い日差しをさえぎりながら風は室内に通すという、昔から
     のすぐれものです。また、内から外は見えるが、外から内は見えないという
     性質もあります。今日はそんな簾(すだれ)越しに見た風景です。

     寺田屋

     Dsc41265a

     瑠璃光院 秋の特別拝観

     Imi_4708a

     Imi_4711a

     Imi_4710b

     真如堂吉祥院 かふぇ水琴窟

     Dsc_2465a

     下鴨神社

     Imh_8496a

     宵山 夜は外から中が見えてしまいますね。

     Imj_7508a

     祇園白川あたり

     Iml_0782a

     大徳寺興臨院

     Dsc_6333a

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     Imk_9705a

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