八瀬 瑠璃光院
「八瀬」の地は「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負った大海人皇子(天武天皇)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎのさと」として愛されてきました。
明治の元勲三条美公は、この地の庵に「喜鶴亭」と名づけられました。
開門は10時です。暫く待ちました。山門です。
その後、大正末から昭和の初めにかけて一万二千坪の敷地に、延べ240坪の数奇屋造りに大改築されるとともに自然を借景とした名庭を造営。
書院から「瑠璃の庭」
建築は京数奇屋造りの名人とされた中村外二。築庭は佐藤藤右衛門一統の作と伝えられる。(頂いた冊子より)
こちらは新しい建物の庭。
「かま風呂」です。日本式蒸し風呂の原型。
二階に向かいます。
覗いて見ると。向こうの紅葉が。
公開は秋の紅葉の時期に一ヶ月ほどのみ。
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叡山電車 「八瀬比叡山口」 あたりの高野川。