嵯峨野 落柿舎
ただ今、燃え尽き症候群と申しましょうか、単なる倦怠感なのでしょうか、「写真に飽きたぁ~」状態です。京都歩きは飽きていないのですよ、どこか連れてって下さい。
「○○○のブログ」や「○○とねこの○○生活」を宿題をするのが嫌で怠けている小学生のように読みふけっていると、帰ってきた夫が「写真やってやろうかぁ」と嬉しそうに。
「それってブログ乗っ取りですか?」で、深夜にやっと手が動き始めたというか・・・。
そこで今日は「落柿舎」 (らくししゃ)です。(写真は9月23日)場所はここです。
「落柿舎」は、蕉門十哲の一人として名高い向井去来(慶安4年(1651)~宝永元年(1704))の閑居の跡として知られている。
当時、庭にあった四十本の柿の実が一夜のうちにほとんど落ちつくし、かねて買約中の商人を気の毒に思って価を返してやった。これが落柿舎の名の由来である。
芭蕉も晩年、三度当庵を訪れて、名作「嵯峨日記」を著した。
庭には去来のよんだ
「柿(かき)主(ぬし)や 梢(こずえ)はちかき あらし山」
の句碑がある。
去来は長崎の生まれ、芭蕉に師事して俳諧を学び、その芭蕉をして「洛陽に去来ありて、鎮西に俳諧奉行なり」といわしめた。かつて武人であった去来は極めて篤実真摯な人柄で、芭蕉に仕えるさまは、ちょうど親に対するようであった。 その句
「鴨なくや 弓矢を捨てて 十余年」 はよく知られている。
句碑 柿ぬしや 梢はちかき あらしやま
他にもあちこちに句碑があります。
花の名に疎いくて分りません。無理やり撮ってもらいました。
(私のデジカメ早く帰って来~い)
これは「紫式部」ですよね。
これは白いです、白式部ですか?そんなのあるのでしょうか?突然変異か?
鹿脅し(ししおどし)の音を聞きながら、素朴な草花を愛でながら一句どうぞ。
「落柿舎投句箱」があります。庭内の投句箱に投句された全国の作句で機関誌に掲載された方は機関誌が届きます。
若いカップルが「しかおどし」って大声で言っていたので振り仮名つけておきました。
あんな自信満々に言われると自信無いなあ。「ししおどし」で良かったかしら。
落柿舎の前に広がる田畑。今は「古代米」と「大納言小豆」が実っていました。
こちらは「古代米」。全部で6-7種類ありました。
サイクリングも良いですが、こちらはラクチンです。
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柿の葉も落ちた12月の初旬はこのようになります。まさに「落柿舎」
「らくがきしゃ」ではありません。「らくししゃ」です。(自信あり)