1 こだわり風景2 (2008)

2008/02/23

狛狐 伏見稲荷大社

     伏見稲荷大社の場合は狛犬ではなく狛狐です。楼門の両側で立派な
     きつねが迎えてくれます。伏見稲荷大社のHPに書かれている由来から、
     なぜ狐なのかが分かるかも知れません。

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     欽明天皇が即位(539または531)する前のことについて、『日本書紀』
     では次のように書かれています。

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     欽明天皇がまだご幼少の頃のある日のこと「秦(はた)の大津父(おお
     つち)という者を登用すれば、大人になられた時にかならずや、天下を
     うまく治めることができるでしょう」という夢をみました。

       Dsc06998a

     天皇は目覚めてから早速方々へ使者を遣わされて探し求められたと
     ころ、山背国紀伊郡深草里に秦の大津父がいたのです。

     Imi_5688a 

     天皇はこれを大いに喜ばれて早速彼を宮廷に呼び寄せられ、「今までに
     何事かなかったか」と問われたところ、彼は「別段何もありませんでしたが、
     伊勢のほうへ商いに行っての帰り道、山(稲荷山南麓の大亀谷)にさしか
     かったところ、二匹の“おおかみ”が血を出しながら争うのを見つけました
     ので、馬より降り、口をすすぎ、手を洗って『汝は貴い神であるため荒い事
     などを好まれるが、もし狩人が来たならばたやすくとらわれてしまうから争
     うのはおやめなさい』と血をぬぐって山へはなしてやったので、その“おお
     かみ”は二匹とも命を全うできました」と答えました。

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     そこで天皇は、「夢で見たとおりの人に会えたのは、おそらく神のおかげ
     であろう」と仰せられて、彼を厚く遇せられ、やがてにぎわいを呈するよう
     になり、即位されると共に、彼を今でいう大蔵省の重席に任じたとあります。

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     平安時代初期に編集された『新撰姓氏録』によると、その当時近畿に住
     んでいた諸蕃(渡来および帰化系氏族)のうち、「秦氏」は中国・秦の始皇
     帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また融
     通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して帰化した、とあります。

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     ところが、伏見稲荷大社のHPによれば、上のような由緒ある来歴はあま
     りあてにならず、近年では秦氏は朝鮮半島の新羅地方出身であろうと考
     えられているとのことです。

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     いずれにしても、雄略天皇の時代に、多数の渡来人があり、とりわけ秦氏
     族は当時の先進地域であった大陸および朝鮮半島の文物をわが国にもた
     らし、後の律令国家建設のために大いに役立ったと思われます。例えば、
     記録、出納、徴税、外交事務それから文字使用を業とするのは、もっぱら
     これらの氏族であったと考えられています。

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     朝廷の渡来あるいは帰化氏族に対する処遇がよかったことがうかがわ
     れるのも、以上の技能を高く買われてのことであろうとされている。彼ら
     はたいてい畿内の小豪族としての生活を認められ、それぞれの特技を
     生かした専門職の地位を与えられていたようです。 

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     山城国における秦氏族の本拠地は右京の太秦であるとされ、深草の
     秦氏族は系譜の上では太秦の秦氏族の分家と考えられている。この太秦
     の秦氏族は、7世紀頃、桂川の大堰を築堤したり、藤原氏と姻戚関係を
     結び、長岡遷都や平安遷都の際にも、河川の改修や都城の造営等で
     大いに影響を与えたとされます。

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     また、山背国の由緒ある豪族の賀茂県主族とも早くから姻戚関係を結び、
     ついには賀茂県主の子孫を自称するようになるのです。賀茂県主族は
     名社・賀茂社を奉祀していた名族で、新参の渡来氏族が彼と結びつくこと
     によって、その名をとり、一方賀茂氏族は、当時としては近代的な文化
     や経済などの実をとったのであろうと考えられています。

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     こうして太秦の秦氏族は、大宝元年(701)桂川畔にそびえる松尾山に
     松尾神を奉鎮、深草の秦氏族は、和銅4年(711)稲荷山三ケ峰の平らな
     処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして、御神威赫々たる大神が
     あたかも鼎立する結果となったのです。

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2008/02/19

京の眺望8 大山崎山荘美術館

     昨日この山荘の小さな滝を紹介しましたが、2階のテラスからの眺めは
     なかなかのものです。

     アサヒビール大山崎山荘美術館は、アサヒビール運営による私立美術館
     である。大阪府と京都府の境にある天王山の山腹、乙訓郡大山崎町に
     位置し、真下に木津川・宇治川・桂川の三川が淀川へと合流する美しい
     風景を見ることができる。いつも通り、説明はWikipediaからの要約です。

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     コレクションの中核は、現アサヒビールの創業者として知られる実業家
     山本為三郎の収集したコレクションである。彼は大正から昭和初期に
     柳宗悦らが提唱した「日本民藝運動」の賛同者であり支援者でもある。

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     大山崎山荘には民芸運動にかかわる河井寛次郎、バーナード・リーチ、
     濱田庄司、富本憲吉、棟方志功、芹沢銈介といった作家たちとの交流の
     中で収集された作品が展示されている。その他の陶磁器・染織・絵画など
     の作品、朝鮮王朝の古陶磁、イギリスのスリップウェアなどの古陶磁と
     いった美術品は、,山本自身が日常愛用したものである。

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     さらに、モネの絵画『睡蓮』連作を複数所有するほか、ヴラマンク、モディ
     リアーニ、クレー、イサム・ノグチ、ジャコメッティ、ムーアなどの近現代
     美術も展示されている。

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     この山荘がなぜアサヒビール運営の美術館となったのでしょうか。

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     大山崎山荘は加賀正太郎という人物の建物だった。1888年、大阪船場の
     株相場師の息子として生まれた彼は、現在の一橋大学を卒業するとイギ
     リスを中心に欧州へ遊学し、アルプスの山々に登頂した日本人のさきがけ
     となった。

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     日本帰国後は証券会社(加賀証券)を設立したほか、1934年にはサント
     リーの前身壽屋で山崎工場を立ち上げたもののオーナーとの路線対立
     から独自でウイスキー製造に乗り出した竹鶴政孝を支援して大日本果汁
     (後のニッカウヰスキー)創立に参加するなど、イギリスから持ち帰った
     モダンな生活様式を日本に定着させようとした。

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     彼は天王山山麓の淀川の流れを見下ろすこの場所に、テムズ川を見下
     ろすウィンザー城の風景を重ねあわせ、ここに山荘を作りたいと考えた。
     1912年に建設に着手、1915年には最初の木造の望楼「白雲楼」が、さらに
     増築を重ね1932年には現在見る本館である「霽景楼(せいけいろう)」が
     完成した。加賀は併設された温室でイギリス時代以来夢中だった洋蘭の
     研究や品種改良を進め、『蘭花譜』という図録を出版し、1954年に死去した。

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     山荘は後に加賀家の手を離れ、様々な所有者の手に移り一時は会員制
     レストランなどに再利用されるが年々老朽化が進み、バブル経済末期には
     建設業者が買収し、一帯を更地に地上げするマンション開発計画を立てた。

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     天王山の横腹に大きなマンション群が林立し景観が一変することに反対
     する地元住民は山荘の価値を見直し、山荘と周囲の森林の保全を訴えた。

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     これが大山崎町や京都府を動かし、さらにアサヒビールの社長樋口廣太
     郎が保存に協力することになった。これには、アサヒビールがニッカウヰ
     スキーを子会社にしており、山本為三郎と加賀正太郎は交友があったこと
     などの縁があった。

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     こうして土地は京都府や大山崎町などが業者から買い取り、山荘はア
     サヒビール運営の山本コレクションの美術館となることが決まり、後には
     安藤忠雄が建築設計・監修に選ばれた。山荘の建物や内装は建設当時
     のクラシックな姿に修復される一方、山荘に付属する形で廊下で結ばれた
     シリンダー状の新展示室は、周囲の自然環境や山荘の落ち着いた調和
     を乱さぬよう、地下に計画された。

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     この山荘へは、JR山崎駅か阪急の大山崎駅から無料の送迎バスが
     出ています。山荘だけあって、終点からもちょっとした登りがあります。

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2008/02/18

京の滝めぐり6

     京の滝めぐりの6回目です。いままではおもに寺社の境内にある「滝」を紹
     介してきましたが、今日はホテルや施設の庭にある滝です。過去のシリーズ
     をご覧になりたいときは右の検索窓に 京の滝めぐり と入力してください。

     アサヒビール大山崎山荘美術館
     紅葉の季節を過ぎて、南天、万両、ネズミモチなどの赤い実の 色が一層
     映えています。(写真は8月ですが、HPの説明は今の季節です)

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     木々は葉を落とし、シジュウカラ、メジロ、ジョウビタキなどの 野鳥の姿も
     観察しやすい頃です。澄み切った空気の中、2階テラスから眺める三川
     の眺望もお楽しみください。雪の山荘景色もお薦めです。

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     ホテルフジタ京都 庭園

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     滝を配した庭園の眺めを味わえるバーなど、バレエティ豊かな趣向を
     凝らした和食、フランス料理、中国料理の店の数々があなたをお待ち
     しております。 (レストランの案内から)

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     ウェスティン都ホテル京都 葵殿庭園
     葵殿庭園は宴会場「葵殿」の南斜面にひろがり、三段の滝で構成
     された雄大な回遊式庭園です。この庭は、日本の近代庭園の先覚
     者として有名な、京都の庭師・七代目小川治兵衛によって、作庭さ
     れたもので、池や流れを「沢飛び」で渡る手法、琵琶湖西岸から疎
     水船で運ばれてきた縞模様のはっきりした守山石の配置などに特
     徴が見られます。

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     殊に、急斜面の自然地形を活かしてデザインされた「雲井の滝」と呼ばれ
     る三段の滝は、小川治兵衛」の作品の中でも傑作といわれています。
     葵殿の改築(平成4年10月竣工)にあたり復元整備されましたが、この庭園
     は文化財として貴重であるばかりではなく、デザイン的にもきわめて優れた
     文化遺産で、当ホテルの長い歴史と豊かな文化・自然環境を表すシンボル
     的な存在となっています。(HPから)

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     京阪三条モール街の内庭 KYOEN

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     何回も登場していますが、日本庭園の各種オブジェがあります。

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     しょうざん光悦芸術村 日本庭園

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     鷹ヶ峰三山を借景に見事にひろがる 三万五千坪のこの土地は
     歴史的な伝統の背景と自然美に囲まれ 今も生き続けています
     (HPから)

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     修学院離宮 雄滝

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     隣雲亭から北の方向に道を下ると、やがて滝音が聞こえ渓流の石橋を
     渡ると木立の奥に垂直に畳んだ高さ6m余りの切石を布引きに落ちる
     滝が現れる。 修学院離宮には、「白糸の滝」もあるそうですが、気が
     つきませんでした。

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2008/02/16

田園風景

     京都も宅地開発が進み、田んぼや畑が少なくなってきました。それでも、
     市街地から周辺部に行くと田園風景を見ることができます。こんな風景
     が気に入っているのは、地元に住んでいるからなのでしょうか。

     曼殊院ちかく

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     正伝寺ちかく

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     松ヶ崎

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     当尾 岩船寺から浄瑠璃寺への石仏めぐりの道

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     松花堂からみた八幡

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2008/02/14

石仏 子安観世音

     百万遍から今出川通を銀閣寺の方にいくと、しばらくして大きなお地蔵さん
     がいます。この石仏が子安観世音です。

     Imj_4276a

     ここは昔から白川の村の入口に当たり、東は山を越えて近江に向い、
     洛中へは斜めに荒神口に達していた。

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     また出町から百万遍をへて浄土寺へ向かう細道との交差点でもあった。

     Imj_4270a

     この堂々たる鎌倉期の石仏は、「拾遺都名所図会」に希代の大像として
     描かれている。弥陀像であるが長い歳月の間にかなりの風化が見られる。

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     古来子安観世音として町の人々の信仰があつく今も白川女は必ずここに
     花を供えて商いに出る。行事:8月17日盆供、11月17日お火焚

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     この石仏のエピソードの中で、豊臣秀吉を負かしたことは有名です。
     ある日、秀吉に気に入られ、聚楽第(じゅらくだい)に連れ去られた。
     しかし、「白川に戻せ」と毎夜うなり声を上げ、元の地に戻されたという。

     Imj_4272a    

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2008/02/13

京の眺望7 法の山

     夏の暑い日に宝が池に行く途中、松ヶ崎大黒天の鳥居を見つけて
     立ち寄ってみました。

     高野川をさかのぼっていくと、法の字が見えてきます。

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     北山通からはこんなに近く見えます。

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     松ヶ崎大黒天

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     建物は少し高い所にあります。

     Imj_9231a

     境内の隅にこんな案内がありました。

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     公園を少しのぞいてみようと登りました。かなりの坂道でした。

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     そこには火床があり、法の字の下に出ました。緑の線は高野川。
     この山の本当の名前は、松ヶ崎東山または大黒天山だそうです。

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     山から市内に向かって、左(東)には大文字山

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     正面は市内南部まで見えます。

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     右は西山方面

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     下を見ると、北山通や工芸繊維大学が見えます。

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     法の字からさらに上に登ると比叡山が間近に

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     ひょんなことから登ることになった法の山でしたが、暑くて大変でした。
     でも、以外によい展望で得をした気がしました。

     Imj_9337a

     下をクリックすると大きな写真がスクロールします。うまくいかない方は
     ごめんなさい。

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2008/02/11

狛鹿 大原野神社

     ついこのあいだ貴船神社奥宮の狛犬をお届しましたが、狛犬以外の
     動物が置いてある神社があります。一般には、神使(しんし)というそう
     で、時には神そのものと考えられている場合もあります。

     大原野神社参道 以下の写真は11月と12月のものです。

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     特定の動物が神の意志を伝えるという説話は日本神話の中にも見られる。
     日本書紀の景行天皇記には、伊吹山の荒神(あらぶるかみ)が大蛇に化
     身して日本武尊の前に現れたのを、尊は「大蛇は荒神の使いだろう」と
     言ったという記述がある。紀の皇極天皇記には、猿を「伊勢大神の使」とし
     て、その声で吉凶を判じたという記述がある。(Wikipediaから)

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     時代が下ると、神使とされる動物は、その神の神話における記述や神社
     の縁起に基づいて固定化されるようになり、その神社の境内で飼育される
     ようにもなった。さらには、稲荷神社の狐のように、本来は神使であるもの
     が神そのものとして祀られるようにもなった。これは、神とは無関係に、
     その動物自体が何らかの霊的な存在と見られていたものと考えられる。

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     狛犬ならぬ狛鹿でした。

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     ここからは、大原野神社のHPから、
     大原野神社鎮座のあたりは古くから開けたところで、1万年以前の有柄
     尖頭器が神社の山の手から発見されている。

     Imi_4345a

     延歴3年桓武天皇が都を奈良から長岡京(現向日市)に遷されたとき、
     天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれた。藤原氏の人や多くの供奉
     の人達はこの美しい風景を賞でて氏神春日大社の分霊を遷し祀ることに
     した。これが当神社の起りである。

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     つまり、大原野神社は春日大社の分霊を遷したもので、狛鹿もそこから
     来ているのでしょう。

     Dsc42179a

     ちなみに、春日大社の項には、
     鹿は春日大社の神使であり、春日大社創建の際、茨城県にある鹿島
     神宮の祭神が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる(春日大社は鹿島
     含め3社の分霊)。

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     結局、狛鹿は茨城県の鹿島神社とゆかりがあったのですね。

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     暗くなってきました。

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     Imi_4357a         

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     この一枚だけは4月です。左に黄桜が見えます。

     Imj_1614a

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2008/02/10

人力車がある風景4

     人力車を見ると反射的にカメラのシャッターを押してしまいます。一度は
     乗って観光客気分を味わってみたいと思いながらも、恥ずかしくて勇気が
     ありません。そんなうらやましい気持ちが混じった写真です。

     清涼寺(嵯峨釈迦堂)の仁王門から ほんとは清凉寺

     Imk_6945a      

     同じくあぶり餅で有名な大文字屋さん

     Imk_6951a

     上の通りの突き当りにある寶筺院

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     嵐山 渡月橋通り

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     嵯峨野竹林の出口(入口?)

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     落柿舎 いつも同じような構図

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     青蓮院前

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     知恩院古門 柳の白川の近くです

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     ねねの道

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2008/02/08

はるかなる道

     題名がすこし大げさですが、できるだけ遠くまで続いている道や通路です。
     歩くことは嫌いじゃないので、こうゆう道は楽しくなります。

     桃山御陵

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     Imk_5798a

     京都国際会館

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     地下鉄国際会館駅への通路

     Imj_9537a

     新京極

      Img_8833a

     大徳寺黄梅院

     Imk_9492a

     東福寺

     Imj_3581a

     萬福寺

     Imh_8905a

     嵯峨野竹林

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     伏見稲荷大社

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     京都駅ビル スカイウェイ

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     動物園前

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2008/02/06

狛犬 貴船神社奥宮

     観光客でにぎわう貴船神社本宮から、川に沿って上流に向かうと、結社
     (中宮)、そして奥宮(おくみや)があります。昔はここが本宮だったそう
     ですが、鬱蒼とした大木に囲まれて今は訪れる人もあまりありません。
     今日は奥宮の狛犬に会いに行きます。

     奥宮参道、向こうに神門が見えます。

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     地形からでしょうか、拝殿と本殿の位置は門の正面ではありません。

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     狛犬は拝殿の前にいました。

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     ところで、狛犬とはそもそも何でしょうか?
     狛犬とは、犬に似た想像上の獣の像である。神社や寺院の入口の両脇、
     あるいは本殿・本堂の正面左右などに1対で置かれている。なお、厳密に
     は「獅子・狛犬」と呼ぶのが正しいとされている。(Wikipediaから)

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     一般的には、向かって右側の像は「阿形(あぎょう)」で、角はなく口は
     開いている。そして、向かって左側の像は「吽形(うんぎょう)」で、1本の
     角があり口を閉じている。

     Imj_4145a_3

     両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多いが、厳密には、角のない
     方の像を「獅子」、角のある方の像を「狛犬」と言い、1対で「獅子狛犬」
     と称するのが正しいとされている。     

     Imj_4144a

     昭和時代以降に作られた物は、左右共に角が無い物が多い。これらは
     本来は「獅子」と呼ぶべきものである。

     Imj_4162a

     ということだそうです。
     寺社に行って必ず写真を撮ることにしている狛犬ですが、写真の整理が
     追いつきません。ぼちぼち紹介していこうと思います。

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