御香宮 小堀遠州の石庭
時々伏見の友人の所に出かけます。
ちょうどお祭りの期間だったのですが あいにくの小雨、これも慣れないカメラ、
後で「アンダーで撮っとる」と言われてしまった写真でとても暗いのです。
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ) 公式サイトです。場所はここです。
近所では
「ごこうぐうさん」と呼ばれています。
由緒は拡大して読んでくださいね。
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表門 (伏見城大手門) 元和八年(1622)、徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の追手門を拝領して寄進したものです。
門の上には中国二十四孝の物語を彫った四つの蟇股(かえるまた)があります。
右から
「楊香」・・・楊香と云う名の娘が猛虎より父を救った話。
「郭巨」・・・郭巨は母に孝行する為に子供を殺して埋めようとした所から
黄金の釜が出土、子供を殺さず親孝行が出来た話。
「唐夫人」・・・夫人の曽祖母は歯が無かったので、
自分の乳を飲ませて祖母は天寿を全うした話。
「孟子」・・・孟子は寒中に病弱の母が筍を食べたいというので、
雪の中に彼の孝養に感じ寒中にも拘らず筍が出てきた話。
参道にはズラーッと屋台が並んでいます。 正午過ぎ、まだちょっと雨が降っています。お祭り本番はこれからです。 右は「神馬」
拝殿
平成九年(1997)六月に半解体修理が竣工し復元されました。
極彩色の桃山文化を見ることができます。
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本殿
御香水と御香水口
小堀遠州が伏見奉行に命ぜられた時、
奉行所内に作った庭園の石を
戦後移して作った石庭です。
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小堀遠江守政一が元和九年(1623)、伏見奉行に着任すると、庁舎の新築を命ぜられた。寛永十一年(1634)七月、上洛した三代将軍家光をここに迎えた時、立派な庭園に感心して褒美として五千石加増、一躍大名に列した。
伏見奉行所の庭園は遠州公にとって出世の糸口でもあった。
廊下を渡って向こうの部屋から
庭園の手水鉢には、文明九年(1477)の銘があり在銘のものとしては非常に珍しいらしい。また、後水尾上皇が命名された『ところがらの藤』も移植、その由来碑も建てている。(以上は貰った栞より)
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