赤の宮神社 (賀茂波爾神社)
高野橋から北東に10分ほど歩いたところに赤の宮神社があります。
街中の小さな神社という風情ですがそれなりの由緒があり、ときには
賑わいを見せることもあります。
賀茂波爾(かもはに)神社 下鴨神社の境外摂社で別名赤の宮神社
御祭神の波邇安日子神、波邇安日女神は天照皇大神の御弟神で大地
を守護し、万物の生成発展、殖産興業をはじめ方除、災難除、疫病、
厄除け等多方面に亘っての御神徳を備えられている。
創建の年代は不詳であるが、延喜式神名帳に「賀茂波邇神社二座」と
ある社で延喜年間(901-922)以前からこの地に山城平野の総鎮守神と
して奉祭された。
現在の社名は賀茂御祖神社第4摂社賀茂波邇神社であるが、明治
10年3月に官幣大社賀茂御祖神社の摂社に加列し、それ以前は村社
波邇神社といい、単に赤の宮とも呼ばれていた。
赤の宮と呼ばれている理由は、稲荷神や迦遇突智神とが併せ祀られて
いたからといわれている。稲荷の神を祀る社は社殿を朱に染めるところ
から、当神社も古くは丹塗りであり、江戸時代にはすでに赤の宮稲荷大
明神と呼ばれていたというわけです。
一方、当神社の祭神を西泥部、土師などが祖先神と仰ぐところから、
赤土の宮が赤の宮となったとする説もある。ちなみに、波爾は埴輪
の埴の意味で、土を表す。
当神社の鎮座地は高野川の畔であるところから、度々河川の氾濫に
より社殿は流失し、田畑は荒廃を極めた。
寛文11年(1661)頃、修学寺(修学院)に御本屋、離宮が造営され、その
御幸路に接し、また同じ頃高野川流域の新田開発が成功して以来急速
に発展した。波邇井は地元の方が水を汲みに来ます。
5月12日は賀茂波爾神社の例祭で、下賀茂神社の御陰祭とも重なり、
この日だけは賑わいを見せます。
御陰祭は葵祭りに先駆けて神霊を下鴨神社に迎える神事で、早朝に
祭官たちが下鴨神社を出発して八瀬御蔭神社に向かいます。八瀬御
蔭神社で神移しが行われたあと、神様とともに赤の宮神社に立ち寄り、
休憩や儀式があります。その後、下鴨神社南参道までを巡行します。
写真はその後で出発する子供みこし、近所を練り歩きます。
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