京都伏見の寺田屋は大阪と京都間の通船「三十石船」の京都側の発着地の一つの南浜に「寺田屋浜」という船着場を持つ大きな船宿であった。
寺田屋前を流れる濠川です。
寺田屋に入っていきます。 場所はここです。
現在旅館として改造されており 宿泊できます。(TEL 075-622-0243)
表札は・・・。
順路に従って二階へ。
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寺田屋騒動の折、斬り合いになり急進派九名の志士が犠牲になりました。床の間に掛けてあるのは後に寺田屋の隣に建てられた「薩摩九烈士記念碑」の拓本です。
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「梅の間」龍馬の部屋に入ります。慶応二年龍馬が捕方に襲われた部屋です。
掛け軸の坂本龍馬・・・幕末の風雲急を告げ薩長連合に東奔西走する龍馬の身を案じた女将のお登勢が嫌がる龍馬に奨めて街の画家に描かせた遭難直前の絵像です。円山公園の銅像のモデルとなりました。
この時は負傷しながらも脱出に成功し薩摩藩に保護されたと伝えられています。
湯に入っていた龍馬の愛人お龍が捕方に気付き裸のまま駆け上がった階段です。上から見下ろしました。
下の「刀痕」(龍馬の部屋入り口)はその時のものではないと書いてあったような。見学者が撫でるからどれが刀痕か分らない。階段を見上げると。
その時の湯船(?)フラッシュたけば良かったのですが・・・。
一階に下りてきて。向こうに見える部屋が女主人「お登勢の部屋」、
手前は「寺田屋騒動」の起こった部屋です。
寺田屋騒動・・文久二年の薩摩藩士の上意討事件のときの斬り合いが起こった部屋。
何か分りませんが写真に撮りました。・・・そんなのばかり。
外に出てみました。右、寺田屋騒動記念碑
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歴史の場に立つということは・・・やはり少し興奮します。
今日は写真を入れ過ぎましたが、紅葉が押し寄せてきましたから一回でまとめました。
追記:2008年9月25日 (京都新聞電子版)
「寺田屋」は鳥羽伏見の戦いで焼失 京都市が公表 展示改善を要請
幕末当時の建物でないことが判明した寺田屋(京都市伏見区・寺田屋)
幕末の「寺田屋騒動」などの舞台として伏見観光の人気スポットとなっている京都市伏見区南浜町の旅館「寺田屋」について、市は25日、「(建物は)1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失した」として幕末から残る建物ではないとの調査結果を公表した。 現在の寺田屋では柱の刀傷や弾痕などを1862年の寺田屋騒動で残った実物として展示しているが、当時の建物ではないとの一部報道があり、市が今月に入って調べていた。
市歴史資料館が、書物や石碑など9つの資料を点検した。鳥羽伏見の戦いがあった1868年1月27日直後に出たかわら版の地図で焼失範囲に寺田屋が含まれており、1906年に記された「寺田屋伊助申立書」にも戦いで焼失したとの文言があった。 現在の寺田屋東側に立つ薩摩藩士の顕彰碑(1894年建立)にも、壊された建築物を意味する「遺址(いし)」の言葉が刻まれている。
同館では「以前から当時の建物ではないと言われていたが、あらためて一つずつ資料を点検した結果、焼失したことが確認された」としている。
市は寺田屋に対して展示の改善を要請し、市観光協会などには各観光施設で展示に誤解を与えないよう周知することを求める文書を送った。
寺田屋は「あくまで市の見解であり、今までの旅館の取り組みがすべて否定されるものではない」と反論しているが、今後については「明確で分かりやすい展示を考えたい」としている。
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