粉雪舞う 円通寺
今日から心機一転だかどうだかですが、2年目に突入しました。
今日は今まで行った中で枯山水を集めようかと探していたら、またまた円通寺も1-2枚しか入れてなかったようです。
以前は【主】がホームページ、ブログは【付録】のつもりだったので、このブログには少ししか入れてなかったのです。他にもありそうです。今はすっかり逆転です。
円通寺 大悲山と号し、臨済宗妙心寺派。左京区岩倉幡枝町
円光院瑞雲文英尼は園基任(そののもととう)の女(むすめ)、後水尾天皇御生母中和門院に侍した人で、帰洛してのち、延宝6年(1678)輪王寺宮守澄法親王の尽力を得て一宇を興し、妙心寺塔頭・龍泉庵の本如実性を請じて開山として開創された。
文英尼が変相観音経を印造して中国の寺院に贈ったことは有名である。
後水尾上皇は大悲山号円通寺の勅額を賜い、霊元天皇は勅願寺と定め梵鐘を納進し、しばしば御幸になった。なお、霊元天皇宸翰(しんかん)御消息は重要文化財に指定されている。地図はここです。(下の写真の上の方にあります)
庭園は比叡山を借景とした枯山水平庭で趣があり、後水尾院の幡枝(はたえ)離宮の庭をそのまま今に伝え、国の名勝にも指定されている。(駒札より)
かつてはカメラの持ち込みは禁止されていましたが、周辺の開発に伴う景観の破壊を憂い、この今の景色を画像に残しておくということで、比叡山を借景にしたこの景色のみ撮影が許可されています。
等持院で借景の衣笠山が全く見えなくなっていることを思うと、この比叡山がいつまでもこの形で見ることが出来ますように。
もう少し写真の技術を上げなくては・・・何せシャッター押すだけだから暗い写真です。これ以上明るく仕上げれませんでした。
焚き火の煙が漂ってきました。
ここからは初夏に行った時の緑鮮やかな石庭です。
少し横へ移動しただけで比叡山と杉の木の位置が変わってしまいます。
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紅葉の頃も良さそうですね。
ココログ・フリーの容量が「2000メガバイト」なのですが、現在このブログは「1600メガバイト」でほぼ80%に達しています。
1年半は持つだろうと思っていましたが、そろそろ次を考えなくてはいけません。
そっくりお引越しは無理なので、これはこのまま置いておいて新しく「続・京都を歩くアルバム」を作るつもりです。次は容量無制限を探さなくちゃ。
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門を出るときに粉雪が舞ってきました。